ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第413話 1989年銚子:調子が上がらない銚子!

1989年3月に鹿島鉄道を訪問したついでに、銚子電鉄まで足を延ばしました。

鹿島鉄道銚子電鉄とはかなり離れている様ですが、距離的にそれほど遠くではありません。車であれば霞ヶ浦沿いを南下すれば銚子に行き着きます。しかし鉄道の場合は、乗り継ぎが必要で、新鉾田から鹿島臨海鉄道鹿島神宮まで行き、JRに乗り換えて香取経由で2時間ほどです。鹿島神宮からバスで銚子に行く方法もあります。

しかし、「ついで」が良くなかったのか、天気は下り坂で、銚子に着いたものの全く調子が上がりません。

 

1.デハ301、デハ101 (仲ノ町:1989年3月)

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 この日、銚子電鉄ではデハ301が出迎えてくれました。

まずは、仲ノ町の車庫訪問ですが、この車庫はいつも陽の向きが悪く、しかも狭い敷地に車両が詰め込まれているので、なかなか写真が撮り辛いところです。しかしこの日は日差しを気にせず撮影できました。

 

2.デハ301、デハ101 (仲ノ町:1989年3月)

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 デハ301のお隣のデハ101もかなり年季の入った車両です。この年、平成元年になりましたが、この頃はまだ辛うじて各地に大正末期から昭和初期に製造された車両が現役で活躍していました。銚子電鉄もそのひとつですが、他と明らかに違うことは、車両のボロさと悲壮感でした。現在も経営状況が苦しいようですが、当時もよほどお金がなかったものと思われます。

 

3.デハ301 (仲ノ町:1989年3月)

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 デハ301(注1)は貴重な鶴見臨港鉄道の生き残りで、ビューゲル付きの一風変わった買収国電の成れの果てでした。しかし、この電車は銚子電鉄では大きいほうで、輸送力があったことから、この後もまだまだ活躍します。

(注1)デハ301の車歴

・銚子デハ301←国鉄モハ115←鶴見モハ115←鶴見モハ105:1930年新潟鐵工所

 

4.デハ101+デハ501+デハ701 (仲ノ町:1989年3月)

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 この頃、銚子電鉄には朝の3連運用がありました。その3連と思われる編成が側線で昼寝をしていましたが、普段は中間に挟まっているデハ101が、この日は珍しく先頭に出ていました。

 

5.デハ101 (仲ノ町:1989年3月)

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 デハ101は骨董品の様な車両です。車体長が11m足らずの直接制御車で、いつもは3連の中間でトレーラー扱いの車両でした。この電車の活躍を一度は見たかったのですが、朝の3連を見るためには前泊しないと無理だったので、結局叶いませんでした。

 

6.デキ3 (仲ノ町:1989年3月)

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 車庫の隅っこにデキ3がいました。その後ろはトロッコ客車のユ101です。このコンビが本線を走ったらさぞ愉快でしょうが、さすがにデキ3を本線で走らすのは相当リスキーだったのか実現しませんでした。

 

7.デハ801 (仲ノ町:1989年3月)

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 デハ801はこの当時の主力車で、銚子電鉄では一番まとも?な車両でした。

しかし、その生い立ちは元伊予鉄道モハ106(←伊予クハ405)で、なぜに伊予鉄の車両が銚子に流れ着いたのか?ところが、銚子電鉄伊予鉄との関係はこれで終わらず、その後、伊予鉄800系(←京王帝都2010系)の譲受に続きます。