ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第414話 1989年銚子:調子が上がらない銚子!(その2)

銚子電鉄常磐線沿線の私鉄と違い、他の私鉄と掛け持ちで訪問するには、やはり車がないと厳しいです。そして銚子は東京から中途半端に遠く、なかなか足が向かない場所でした。

今回も天気が悪くて撮影の調子が上がらなかった1989年3月の銚子電鉄の続きです。

 

1.デハ501+デハ101 (仲ノ町:1989年3月)

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 前回から仲ノ町の車庫の様子をご覧頂いておりますが、一通り車両の撮影が終わった頃に突然、デハ101が動き出したので慌てて行ってみると、デハ101がデハ501を牽引して転線を始めました。恐らく列車検査の関係と思いますが、デハ101もちゃんと走れることを確認できました。

 

2.デハ501+デハ101 (仲ノ町:1989年3月)

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 期待していなかったデハ501の顔写真が撮れました。デハ501は片側貫通となっており、撮影できたのは貫通側でした。

 

3.デハ301 (海鹿島~君ヶ浜:1989年3月)

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 車庫内の撮影が終わり、することがなくなってしまい、とりあえず本線撮影に向かいました。天気は一向に良くならず、どうでも良い感じでしたが、デハ301が運用されていたので、いつものキャベツ畑(海鹿島~君ヶ浜間)で撮影です。

 

4.デハ301 (海鹿島~君ヶ浜:1989年3月)

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 ここは本来であれば、この向きの撮影は終日逆光となりますが、この日は曇りだったので、問題なく撮影できました。しかし、やはり天気が悪いと良い写真になりません。

 

5.デハ301 (君ヶ浜~海鹿島:1989年3月)

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 デハ301は元は買収国電ですが、銚子に来てからパンタグラフをビューゲルに交換しました。その容姿は路面電車の様な、そうでない様な、デカイ車体に非常にアンバランスで奇妙です。しかし、翌年にはパンタ化されます。

 

6.デハ702 (海鹿島~君ヶ浜:1989年3月)

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 この日、もう1本の運用車両はデハ702が充当されていました。

少し明るくなり、犬吠埼灯台が左端に見えます。

 

7.デハ702 (海鹿島~君ヶ浜:1989年3月)

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この頃も銚子電鉄の経営は厳しく、いつ廃止になってもおかしくない状況でしたが、その後地元不動産会社がバックに付き、バブル景気も追い風となって一見観光鉄道に脱皮したかに見えました。しかしその結末は悲惨で、現在も過去を引きずっているように見えます。