この日は、午前中上総大久保辺りで撮影を続けました。
天気も良く、3連も走り、絶好の撮影日和になりました。
1.キハ200形3連 (上総大久保~月崎:1992年11月)
小湊鉄道は名前がローカル的です。路線はJR内房線の五井~上総中野までで、中間には小湊という駅も地名もありませんが、元々この鉄道の計画段階では外房線の小湊までつながる予定で、鉄道名も小湊を名乗りましたが、実態は上総中野で断念。そこから先はなぜか国鉄大原線を前身とする、第3セクターのいすみ鉄道が外房線の大原まで走っています。
2.キハ200形3連 (月崎~上総大久保:1992年11月)
現在では、小湊鉄道もいすみ鉄道も経営環境が大変厳しい状況ですが、どちらも昭和チックなコンセプトを掲げて集客に乗り出しています。ただし、いすみ鉄道は地元がバックグランドの第3セクターですが、小湊鉄道は純粋な民間鉄道です。この先どうなるか不安がいっぱいです。特に上総牛久~上総中野間は輸送需要もほとんどなく、列車の本数も激減します。この区間の存続が微妙です。
3.キハ200形3連 (月崎~上総大久保:1992年11月)
小湊鉄道の車両ですが、このキハ200形(注1)が14両も在籍しています。1961年から1977年まで延々と増備され続けました。大変興味深く感心なことは、1961年に自前で新車の導入に踏み切ったことと、1977年まで16年間もブレずに同じ車両を増備して車種統一を図ったことです。
4.キハ200形3連 (上総大久保~月崎:1992年11月)
(注1)キハ200形の車歴
・小湊キハ201,202:1961年日本車輌製
・小湊キハ203,204:1963年日本車輌製
・小湊キハ205,206:1964年日本車輌製
・小湊キハ207~210:1970年日本車輌製
・小湊キハ211,212:1975年日本車輌製
・小湊キハ213,214:1977年日本車輌製
キハ200形は全て日本車輌製ですが、日車といえば、地方私鉄向け標準型気動車を手掛けていたはずです。なぜ小湊鉄道はそれを導入しなかったのかも興味深いです。国鉄に乗り入れる計画もあったそうで、国鉄キハ20系を意識したのかも知れません。結果的には国鉄キハ20系モドキになりましたが、国鉄キハ20系と全く同じにしなかったのは、新車に対する小湊鉄道のこだわりがあったのかも知れません。
5.キハ200形2連 (上総大久保~月崎:1992年11月)
しかし、キハ200形は16年間に及ぶ増備期間には、やはり若干の設計変更がありました。たいした変更ではありませんが、一番目立つのは側窓がキハ211以降ユニット化されたことです。
6.キハ200形2連 (上総大久保~月崎:1992年11月)
この車両が16年間ブレなかった理由は、設計変更すると費用がかかるからと思われますが、なによりも国鉄制式ベースの気動車であったことから、動力装置や駆動装置、細かな部品に至るまで安定供給されていたためです。