今回は1992年の小湊鉄道の話題です。
小湊鉄道の訪問は今回が初めてで、私にとってはこの時点で一番最後まで未訪問で残っていた非電化私鉄でした。どうして一番最後になってしまったのかは、車両が面白くなかったからです。なぜなら、小湊鉄道は中小ローカル鉄道には珍しく、車両の近代化が早く、当時主力だったキハ200形は、その30年前から既に主力であり、その後は現在に至るまで、全く変化なし。1992年当時キハ200形以外の車両は、当時辛うじてキハ5800が1両だけ在籍していましたが、実態は休車状態で走ることはありませんでした。
しかも、キハ200形は14両も在籍していますが、みな同じ顔で、国鉄キハ20系と京成電車をたして割った様なつまらない顔です。
しかし、初回の東京オリンピック、オイルショック、バブル景気など全く関係なかったのか、60年もの間全く変化なしで、我が道を貫いた結果、いつの間にか時代から取り残され、「頑固な昭和堅気」になってしまいました。
ところが現在ではその古臭さが逆にもてはやされる結果になっています。
1.キハ200形2連 (上総大久保~月崎:1992年11月)
この撮影も、バイト仲間だった同好の友人と一緒で、どこで撮影するのが良いのかもわからぬまま適当に出向きました。ところがこの日は休日だったので、てっきりすいているのかと思っていたら大きな間違いでした。その頃は空前のハイキングブームで、小湊鉄道沿線は関東近辺のちょうど良い日帰りハイキングコースになっており、始発の五井からいきなり通勤ラッシュ並みの大混雑に巻き込まれてしまいました。
2.キハ200形2連 (月崎~上総大久保:1992年11月)
ほとんどの人は、養老渓谷まで行くのでしょうが、我々はハイキングに来たわけでもなく、適当に誰も降りない上総大久保で下車しました。
上総大久保は、ここがいったいどこなのかも良くわからず、とりあえず列車が良く見える場所に移動しましたが、撮影地としては結構無難な場所でした。
3.キハ200形3連 (上総大久保~月崎:1992年11月)
しかし、車両がみな同じなので、イマイチ気合が入りませんでしたが、やって来たのはなんと3連でした。普段は当然単行なのでしょうが、この日は乗客も多く、我々が乗ってきた列車は2連でしたが、それでもさばき切れない状況になって来たのでしょうか。
4.キハ200形3連 (上総大久保~月崎:1992年11月)
まさか3連が来るとは思いませんでしたが、幸い軌道から離れた場所から撮影していたので、余裕で連写です。
5.キハ200形3連 (月崎~上総大久保:1992年11月)
小湊鉄道のキハ200形はオリジナル車両ですが、DMH17を搭載した国鉄制式気動車の仲間には代わりありません。よって、必要に応じて増結できます。
6.キハ200形2連 (上総大久保~月崎:1992年11月)
この列車は、上総中野折返しの2連です。このあとの列車運用がお楽しみでした。
7.キハ200形2連 (上総大久保~月崎:1992年11月)
ちなみに、1992年頃の上総大久保辺りはこんなところでした。何もないところですが、恐らく今も変わっていないはずです。