ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第723話 1993年島原:島原大変!!(その2)

せっかくの九州遠征でしたが、2日目の島原は、天気に恵まれませんでした。まだ10月でしかも九州なのに肌寒い一日で、走行撮影は絶望的でした。

よって、再び機関区訪問です。 冷たい天気のせいか、荒れる普賢岳のせいか、前日以上に重苦しい雰囲気が機関区に漂っていました。

 

1.南島原機関区構内全景 (南島原:1993年10月)

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 機関区の全景です。どこを見ても同じような車両ばかりです。奥の方にはブルーシートで覆われた車両が見えます。この車両は1年前に正面衝突事故を起こしたキハ2009でした。すでに廃車となっていましたが、事故の証拠物件として保管されていたと思われます。この頃の島原鉄道は、この事故や普賢岳の噴火災害で暗い時期だったと思います。

 

2.キハ5501、キハ5505 (南島原:1993年10月)

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 最初は同じ様な車両ばかりに見えましたが、目が慣れてくると車両の違いがわかり始めました。こちらの2両は元国鉄の中古車ではなく、島原鉄道自社発注のキハ55形(注1)です。ただし自社発注と言っても準国鉄仕様です。

かなりくたびれて見えますが、この車両はかつて島原鉄道諫早から国鉄に乗り入れて長崎や博多方面へ直通するため、国鉄の急行仕様であるキハ55形、キハ26形タイプの両運車を導入したものです。羽振りの良かった頃なのでしょうか、空気ばね台車の装着は当時の国鉄急行車よりも先行しており、島原鉄道オリジナルです。しかし、国鉄長崎本線が電化されたため、1980年のダイヤ改正で乗り入れは中止されました。

 

3.キハ5501、キハ5505 (南島原:1993年10月)

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 キハ55形は国鉄長崎本線の勾配対応で2エンジン車でしたが、冷房は搭載されませんでした。国鉄乗り入れ廃止後は線内運用のみとなりましたが、さすがにダブルエンジンは不経済であり、非冷房であったことから、かつての優等車両は予備車に成り下がりました。

(注1)キハ55形の車歴

・島原キハ5501:1960年帝国車輌製(空気ばね車):1994年廃車

・島原キハ5502:1960年帝国車輌製(空気ばね車):2000年廃車

・島原キハ5503:1960年富士重工製(空気ばね車):1997年廃車

・島原キハ5505:1960年新三菱重工製(空気ばね車):1997年廃車

・島原キハ5506:1963年川崎車輌製(コイルばね車):1996年廃車

 

4.キハ2601+キハ2002、キハ2015 (南島原:1993年10月)

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 キハ55形と同時に導入された1エンジン車がキハ26形(注2)でした。この車両も国鉄乗り入れが廃止されると線内運用のみとなりましたが、こちらは1エンジンでしかも冷房化されていたので、キハ55形よりは使用されていたようです。

 

5.キハ2601 (南島原:1993年10月)

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 (注1)キハ26形の車歴

・島原キハ2601:1960年新三菱重工製(空気ばね車):1994年廃車

・島原キハ2602:1960年新三菱重工製(空気ばね車):1994年廃車

・島原キハ2603:1964年川崎車輌製(コイルばね車):1997年廃車

キハ55形、キハ26形は共に最終増備車の台車は空気ばねではなく一般のコイルばねになりました。これは、自社線内で乗り心地に難があったようです。しかし、現在のキハ2500形は再び空気ばね車となりましたがどうなのでしょうか?

 

6.キハ2003標記 (南島原:1993年10月)

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続いて、この時点の島原の主力であるキハ20形です。説明するまでもなく、元国鉄キハ20形そのまんまですが、キハ2001~キハ2003は島原鉄道オリジナルの発注車です。

 

7.キハ2008 (南島原:1993年10月)

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 車庫内を見て回ると、1両だけ旧塗装のキハ2008がいました。馴染みのある赤ひげ車です。旧塗装車はこの車両だけになっていました。ちゃんと撮影したかったのですが、押し込まれており、顔が写せただけでも良かったです。