「光陰矢の如し」とは言いますが、日が経つのは非常に早く、もう第800話です。
現在当ブログは1990年代中盤あたりのローカル線の様子をお伝えしていますが、そろそろ古い車両が減ってきました。すでに新しい車両も含めて何とか持ちこたえていますが、この先は徐々に新車ネタが増えそうです。
さて、今回も節目の番外編ですが、ブログのネタを探すためスキャナーデータを眺めていて、目に留まったのが、熊本市交の9700形LRVでした。これも新しい車両ですが、導入からすでに25年も経っています。いつまでも新しくありませんが、この車両は日本国内初のLRVです。最近ではLRVもようやく定着してきた感じですが、今回は今一度、LRV国産化の黎明期を顧みたいと思います。
1.熊本市交9700形初号機9701編成
まずは、LRVとは何なのか?
LRV=Light Rail behicle 直訳すれば軽鉄道車両とでも言いましょうか。しかしLRVは日本産業規格(JIS E)の鉄道車両用語にも規定されている通り「超低床路面電車」を意味します。
2.熊本市交9700形カタログ抜粋
熊本市交9700形が登場したのは、1997年でした。その頃の路面電車は、広電3950形連接車や熊本市交9200形などのVVVF車が国内の代表的な車両でしたが、国内の路面電車に関してはなぜかヨーロッパに比べて20年くらいは開発と言うか新規発想が遅れていました。ちなみにヨーロッパでは1980年代には超低床車の開発が始まっており、熊本市交の9700形が導入される10年前には独立車輪を採用したLRV(100%低床ではない)が実用化されました。しかし、裏話を聞けばどこも相当な試行錯誤と巨額な投資をしており、たいていは何らかの補助があった様ですが、後発の日本が同じ轍を踏むわけもなく、素直に出来上がったものを購入する運びとなりました。そして、ここで登場したのが業界大穴の新潟鐵工所でした。
3.熊本市交9700形カタログ抜粋
なぜ、気動車メーカーがLRVなのか?これにはいろんなわけがありましたが、意外にも新潟鐵工所はかつて路面電車のメーカーでもありました。そして、一見電車製造には無縁のように見えますが、新交通システムでは当時かなりの実績を上げていたことは事実で、辛うじて電車製造は継承されていました。
新潟鐵工所が目を付けたのは、ドイツAEG製のLRVでした。これは、いわゆるヨーロッパの路面電車の型式であるGTタイプでした。日本仕様にもアレンジしやすかったことが理由です。
4.熊本市交9700形カタログ抜粋
ところが、甘い蜜だけ吸おうとする東洋人相手に、ヨーロッパ勢はしたたかでした。もっとも、汗水流して巨額の投資を掛けた賜物をそう簡単には売ってくれません。まともに買えば、恐ろしく高価な買い物になってしまうところでしたが、そこは、日本人も馬鹿ではありません。図面さえあれば車体くらいは何とでも造れます。
結局、新潟鐵工所は当時のAEG(後のADtranz)とはライセンス契約は結ばず、業務提携というかたちで、ドイツからLRVの臓物を輸入して車体製造と艤装を国内で行うこととなり、そんなわけで日本初のLRVは和洋折衷の、とりあえず和製LRVとなりました。
5.熊本市交9700形カタログ抜粋
余談はこの程度として、9700形初号機の仕様について補足します。この車両は、完成したLRVを丸買いしたと、よく誤解されますが、前述の通り臓物を輸入して製造された和製です。また、本家のドイツにはない国産オリジナルの仕様があります。それは2車体連結であることです。ドイツでは最小でも3両連結です。2両となれば艤装もかなり厳しくなりますが、それに輪を掛けて、もう一つ国内仕様となる客室クーラーが搭載されました。ちなみにこの客室クーラーは日本製です。驚くことにドイツでは、このタイプの車両には客室クーラーが付いていませんでした。なお、先頭部の屋根上に搭載された白い箱は、運転席のクーラーです。客室はともあれ、フロントガラスが大きい運転席は、陽が射せば蒸し風呂状態になるので、さすがにドイツでも運転席のクーラーは必需品の様です。とにかく艤装が厳しい車両となりましが、何とか2両で構成できたのは、空制機器がないことや電気品の制御に伝送化が進んでいたことが幸いし、配管や配線の艤装スペースがかなり集約されていたことや、電気品も相当小型化されていたことが挙げられます。
6.国産化LRVの初号機の出荷
そして、構体はスタンダードな鋼製ですが、窓割り、ドア配置、台車配置はモジュール化されており、まさに標準化のお手本です。こういったところがヨーロッパの車両は先進的です。次回はこの車両の意外な特徴について、もう少し突っ込んでみたいと思います。・・・・つづく