番外編は続きますが、ここから話題が変わって、私が中学2年生の冬休みに乗車した芸備線の急行「やまのゆ号」の乗車記録です。べつに特別な用事や理由はありませんでしたが、広島運転所を訪問した同級生4人で暇つぶしに芸備線にでも乗ろうと言うことになり、正月早々決行しました。
1.キハ58系急行やまのゆ号 (津山:1978年1月)
やまのゆ号は広島から芸備線を完走して、さらに先の津山行きの急行列車でした。広島を出発する時は、ちどり1号との併結ですが。ちどり1号はグリーン車、指定席車付きの7両(内3両は三次まで)に対し、やまのゆ号は自由席車のみ2両という有様でした。しかし、堂々の9両編成でした。
2.JTB時刻表 1976年8月号抜粋 (芸備線)
当時の時刻表を添付しますが、今では廃止になりそうな芸備線も当時はこんなににぎやかでした。しかし、この頃から輸送需要の低迷は始まっていました。その原因は中国縦貫道です。中国山地の山間部を走る芸備線、姫新線などは、完全に中国縦貫道と競合しており、その後の山陽道の開通と合わせて、陰陽連絡も高速バスに完全に敗退です。最近では、三江線が脱落しましたが、その他の山間部の路線も油断ならぬ状況です。
3.キユニ163 (甲立:1978年1月)
さて、広島を出発した「やまのゆ号」は中国山地に向かって北上し、2つ目の停車駅で列車交換があり、少し停車しましたが、対向列車の先頭車には、見たことがない湘南型気動車が連結されていたので、あわててホームに下りて撮影です。この車両はキユニ163(注1)でした。初めて見る湘南型のしかも郵便・荷物合造気動車でした。
(注1)キユニ163の車歴
・国鉄キユニ163←国鉄キハユニ166←国鉄キハユニ44105←国鉄キハ44105:1953年日立製作所製
ところで、キユニ163は元々電気式気動車の量産車でした。溯れば国鉄キハ44100形という、3両ユニットの直角カルダン車で、中間車のキハ44200形と共に5編成15両が製造されました。気動車を液体式にするか電気式にするか、国鉄が悩んだあげく両方製造した頃の車両ですが、結局、液体式に軍配が上がり、電気式気動車は全て液体式に改造され、やがて郵便・荷物気動車となりました。この頃にはまだ各地に同類の車両が生き残っていましたが、当時はまともな情報もなく、まさか芸備線で出会えるとは思ってもいませんでした。現物を見ることができ、正月早々大収穫でしたが、キユニ163は、この年に廃車となりました。
4.車窓から三次駅 (三次:1978年1月)
広島から1時間15分程で三次に到着です。三次は中国山地の盆地で、この日は雪が降っていました。ここで後部3両が解放されて、6両編成となりました。
5.車窓からED101045 (備後庄原:1978年1月)
さらに奥地の備後庄原は雪が積もっていました。雪の少ない中国山地ですが、この辺りは山陰の天気に影響されて結構雪が降ります。
6.車窓から沿線風景 (備後落合付近:1978年1月)
備後庄原を過ぎてさらに雪深い地域となります。備後落合付近は川沿いを走ります。列車の窓から後部車両が見えます。後部の「ちどり1号」は米子行なので、このあと備後落合で別れます。