ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

号外:お金の掛からない有意義なGW!!

ようやくまともなGWを迎えることができましたが、東京都のコロナ感染者がいまだに1000人超えとは、困ったものです。しかしながら、待望の自粛なしGWです。「どこかに出かけなくてはならない」という、変な使命感を負いつつ、結局どこにも行かずに終わってしまいそうです。・・・が、しかし、今年のGWは「ナベトロ」です。

 

1.今年のGWの起爆資料

今年のGWの起爆資料は、9年ほど前に購入した小林 實さんの著書「十勝の森林鉄道」(注1)でした。この本を久々に読み返していて、十勝川新水路の開削工事に使用された軌道の記録が、ふと、私の地元の荒川放水路の開削工事にダブって見え、そう言えば、あそこに「ナベトロ」があったことを思い出し、GW恒例のママチャリで「ナベトロ」を見に行きました。

(注1)「十勝の森林鉄道」について

 この本は北海道で農業に携わっておられた小林 實さんが、十勝地方の河川工事軌道や森林鉄道などについてまとめられた、とても貴重な文献です。もちろん、まともな記録などないなか、小林さんがかつての関係者から聞き取りを主体に調査されたものですが、小林さんは農作業中の事故で右上腕切断という大怪我をされ、不自由な身体にもかかわらず、この本の執筆を完了されたのが平成23年、84歳の時であったそうです。私はこの本に記載された名もない工事軌道が存在していた頃の時代背景や北海道の地理(特にアイヌ語に由来する地名)に疎く、取っ付きにくい内容であり、正直、この本を購入した当初は、まともに読むことすらできませんでしたが、繰り返し読むことで、9年かけてようやく、この本の内容が見えてきました。改めて貴重な文献です。産業軌道や工事軌道に興味を持たれる方で、まだ、「十勝の森林鉄道」を読まれていない方は、ぜひ読んで頂きたい逸品です。

 

2.荒川知水資料館

自宅からママチャリで30分。天気の良い荒川土手を遡上し、ここは国土交通省関東地方整備局荒川下流河川事務所に併設された荒川知水資料館です。ここに「ナベトロ」があります。かれこれ15年ぶりでしょうか?ここもコロナの影響でしばらく休館状態でしたが、ようやく公開が再会されました。ちなみに入館無料です。

 

3.荒川知水資料館

さて、この荒川知水資料館ですが、大変勉強になります。例えば、皆さんは墨田川がもともと荒川だったことを知ってますか?。その昔、墨田川は荒川の本流でした。そしてその頃、今の荒川放水路はありませんでした。なんだか、嘘みたいな話ですが本当です。では、今の荒川放水路はいったい、いつできたのか?。

※現在、「荒川放水路」は、正式に「荒川」となっています。

 

4.荒川放水路の生い立ち(引用:荒川知水資料館の資料)

まだ、今の荒川放水路がなかった頃、当時の荒川(現在の墨田川)はご覧の様に氾濫を繰り返していたそうで、特に明治43年に発生した台風による洪水は、大水害となり、これがきっかけで今の荒川放水路を建設することになったそうです。着工は明治44年で、完成は昭和5年。大正時代を飛び越えて20年にもおよぶ工期ですが、大正時代とは言え、都内に新たな放水路を建設することは、立ち退きだけでも大変な事業です。そして、関東大震災などの横槍もあり・・・・。

 

5.現在の荒川と旧岩淵水門の様子

ここは荒川知水資料館のすぐ横の、墨田川が荒川本流から分岐する場所です。写真の茶色の水門が旧岩淵水門です。この水門の完成により、墨田川の水量が調整されて、墨田川(旧荒川)の氾濫は解消しました。そして、ここから写真の左側に広がる荒川放水路が延々と東京湾まで建設されました。

・・・で、このドデカイ荒川放水路を大昔にどうやって造ったのか?。

 

6.荒川放水路開削状況(引用:荒川放水路変遷誌)

結論から言うと、工事は人海戦術だった様ですが、大正時代ともなれば蒸気機関を搭載したエキスカベータなども使用されたようです。

 

7.トロによる土運(引用:荒川知水資料館の資料)

これが土木工事の原点です。現在の荒川放水路のスケールを考えると、気の遠くなるような作業の実態ですが、当時は人件費が安く、人材豊富だったので高価な重機を入手する間に人手で進めた方が手っ取り早かったのでしょう。

 

8.蒸気機関キスカベータによる掘削(引用:荒川知水資料館の資料)

でも、このエキスカベータは優れものです。エキスカベータは、ベルトコンベアモドキにバケツを取り付けて土砂を搔き採りながら自走し、採取した土砂を並行する軌道のトロに積み込む画期的な重機でした。写真を見るとエキスカベータは3線軌道となっています。おそらく、左端のレールは本体を支持するもので、右側の2本のレールが自走用です。掘り進むと軌道を外にずらしながら川幅を広げるといったことを繰り返して現在の荒川放水路は建設されました。この工法は荒川放水路建設以外の河川改修などにも多用され、「十勝の森林鉄道」に記された十勝川新水路の開削工事でも同年代に大小さまざまな蒸気機関キスカベータが活躍していたことが記載されています。

なんだか、ローカル線ネタから大きく脱線してしまいましたが、ご勘弁願います。

つづく