ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第1014話 1989年西鉄:遅すぎた出会い(その2)

続いて、西鉄柳川車庫の200系の様子です。柳川車庫の裏手には2連の200系が2本留置されていました。

 

1.モ204、ク64 (柳川:1989年9月)

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この2連はいずれもMT編成で、Tc車は元博多湾岸鉄道汽船(現:JR九州香椎線)のガソリン動車を前身とするクハ60形です。この写真は偶然モ200形(左)とク60形(右)が向かい合った連結部ですが、見た目はどちらも電車と言うより気動車です。

 

2.ク62+モ204、ク64+モ202 (柳川:1989年9月)

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ク62の顔を撮ることが出来ましたが、逆光なのが残念です。モ200形は元国鉄キハ42000形モドキですが、ク60形は元国鉄キハ41000形モドキです。しかし、ク60形はもともと気動車です。余談ですが、西鉄にはこれ以外にも気動車から電車になった車両がありました。それは、国鉄の買収気動車を前身とする改造電車で、生い立ちも仕様もバラバラでしたが、クハ50形(クハ55~58)に包括されて、西鉄宮地岳線で使用されました。

 

3.モ204他 (柳川:1989年9月)

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この当時、同年代製の元国鉄気動車はほとんど消滅していましたが、大手の西鉄にまだ残っていたとは奇跡的と言うか意外でした。ここで、200系(注1,注2)の車歴についてまとめると以下の通りです。

(注1)200系(九州鉄道モ20形)の車歴

西鉄モ201,203(中間車)←西鉄モ201,203←九州モ21,23:1937年汽車会社東京製

西鉄モ202,204~210←九州モ22,24~30:1937年汽車会社東京製

西鉄モ211~213,215,216:1941年汽車会社東京製

西鉄モ214(中間車)←西鉄モ214:1941年汽車会社東京製

西鉄モ217~219←西鉄ク258,259,257:1942年汽車会社東京製

西鉄モ220←西鉄ク254:1941年汽車会社東京製

西鉄サ251~253,255,256,260←西鉄ク251~253,255,256,260:1941年汽車会社東京製

 

4.ク64ほか (柳川:1989年9月)

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(注2)200系(博多湾岸鉄道汽船キハ100形)の車歴

西鉄ク62,63←西鉄サ62,63←西鉄キハ103,104←博多湾岸キハ3,4:1934年日本車輌

西鉄ク64←西鉄キハ101←博多湾岸キハ1:1934年日本車輌

西鉄サ65←西鉄ク65←西鉄キハ102←博多湾岸キハ2:1934年日本車輌

 

5.モ202ほか (柳川:1989年9月)

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しかしながら、この時つくづく思ったのですが、この5ヵ月前には、ここにいる車両はまだ現役で走っていたわけで、九州は東京から見れば大変遠方の地でしたが、どうして現役時代に甘木線を訪問しなかったのか悔やまれました。

 

6.モワ803 (柳川:1989年9月)

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そして、柳川車庫には「お宝?」の木造車がいました。救援車のモワ803(注3)です。調べたところ、この車両は最初から電動貨車として製造されたもので、それが理由で木造だったようですが、後に前面に鉄板が貼り付けられたそうです。側面には側窓なるものがありませんが、これはオリジナルです。電動貨車なので、運転室以外に窓は不要なわけです。

 

7.モワ803 (柳川:1989年9月)

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(注3)モワ803の車歴

西鉄モワ803:1942年木南車輌製

モワ803には、兄弟のモワ804がいました。モワ804は一足早く1987年に廃車されました。

この時点で申請上はまだ電動貨車でしたが、1995年に正式に救援車のモエ803となり、2004年に廃車となりました。この車両は「お宝」かと思いましたが、意外にも200系よりも若い車両なので微妙です。