ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第1037話 1996年川島界隈:死して屍拾う者なし!!(その2)

引き続き、川島の引込線探訪です。

ところで、川島はとても不便なところでした。都内からだと、常磐線友部経由、東北本線小山経由、関東鉄道常総線下館経由の3ルートがありますが、列車本数、所要時間、低コスト重視で小山経由を選択しました。小山と言えば新幹線も利用できますが、それはお金がもったいない。

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さて、本題に入ります。この日は思っていたよりもスムースに川島の引込線探訪ができました。見るのを諦めていた日本コンクリートのDLも確認できました。そして、この先はいよいよ砂利運搬線の廃線エリアに入ります。上図の⑦~⑬は写真の撮影場所を示します。

 

⑦ 廃線に残存する日本コンクリートのDL (日本コンクリート:1996年2月)

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写真⑦は鬼怒川の土手から望遠で日本コンクリートのDLを撮影したものです。本来であれば、灌木類が生い茂り、このDLなど撮影は困難な状態だったはずですが、幸運にも引込線の草刈りが行われた直後だったので、DLが姿を現し撮影もできました。

 

⑧ 砂利運搬線の廃線 (日本コンクリート脇:1996年2月)

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写真⑧の様に、砂利運搬線の廃線も雑草が綺麗に刈られており、先へ進むと人がいました。なにやら作業をしている様です。そのまま歩いて行くと、作業監督らしき人が私に近寄って来て「取材ですか」と尋ねられました。取材ではなく単なる廃線跡の探訪ですが、これをどう説明したらよいものか?とりあえず趣味で廃線跡を見に来た旨を告げて、逆に何の作業をしているのか聞いたところ、鬼怒川の河川改修のため廃止部分に残っている線路を撤去しているとのことでした。

 

⑨ 砂利運搬線の廃線 (鬼怒川河川敷:1996年2月)

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廃線の雑草刈りも、線路の撤去作業の一環だったようです。写真⑨は廃線が鬼怒川河川敷に出たあたりで、この先はすでにレールは撤去されており、ちょっとタイミングが遅かったようです。しかし、草刈りされていたので引き込み線の全容が確認できました。結果的には良かったのかもしれません。ぎりぎりセーフです。

 

⑩ 砂利運搬線の廃線 (鬼怒川河川敷:1996年2月)

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廃線跡は、枕木も掘り起こされており、ある程度整地されていました。軌道敷の脇には外された枕木やレールが積まれていましたが、こうなると単なる農道です。このあたりは河川敷ですが、線路敷の両側には田畑が広がっていました。

 

⑪ 砂利運搬線の廃線 (鬼怒川河川敷:1996年2月)

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もし、撤去作業が完全に終わって、外されたレールや枕木もなくなっていたら、ここが砂利運搬線の廃線跡であることが認識できなくなっていたかも知れません。

写真⑪は、軌道敷を振り返って撮影したものですが、正面は日本コンクリートの工場です。この周辺は整地面積が少し広くなっており、外されたレールにはクロスレールも含まれていることから、かつては貨車のヤードになっていた様です。

 

⑫ 砂利運搬線のヤード跡 (鬼怒川河川敷:1996年2月)

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さて、廃線跡はまだ先まで続いています。この辺りは鬼怒川の河川敷なのでしょうが、土手らしきものは見当たらず、畑もあります。大雨が降って鬼怒川が増水したらどうなるのでしょうか?だから河川改修が始まったのかも。

 

⑬ 砂利運搬線のヤード跡 (鬼怒川河川敷:1996年2月)

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ここから先の方は広大な原野の様ですが、整地された範囲には線路が敷かれていた様で、結構大きいヤードだった感じがします。そして、気になる遺構が・・・・。