ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第1038話 1996年川島界隈:死して屍拾う者なし!!(その3)

川島の引込線は、日本コンクリートの工場を過ぎると広大な鬼怒川河川敷に出ました。この先は、河川改修の関係で線路が撤去中でしたが、こんなタイミングに出くわすとは、何かの因果なのか?今回は引込線探訪の最終回です。いよいよクライマックスのアレが登場します。

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上図の⑭~⑳は、写真の撮影場所を示します。

 

⑭ 砂利運搬線のヤード跡 (鬼怒川河川敷:1996年2月)

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さて、ここで引込線の探訪は終わってしまいましたが、この日の目的はこれだけではありません。河原に残る砂利運搬線の遺構を見なければなりません。

 

⑮ 砂利運搬線のヤード跡 (鬼怒川河川敷:1996年2月)

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この先は、かつては砂利運搬列車の積込みヤードになっていましたが、この当時は㈱佐藤茂市商店の私有地になっており、残土の集積場?になっていた様です。

 

⑯ 砂利運搬線のヤード跡 (鬼怒川河川敷:1996年2月)

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ヤードだったあたりは、線路がはがされたと言うより、線路が掘り起こされたと言う感じでした。

 

⑰ 砂利運搬線のホッパー跡 (佐藤茂市商店作業場:1996年2月)

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ヤードの先には不思議な構築物がありました。写真⑰はかつて鬼怒川で行われていた砂利採取の遺構です。鬼怒川で採取された砂利はトロッコでここまで運ばれて国鉄の貨車に積み込まれていました。その積み込み場所であるホッパービンがこの構築物です。本来であればこの構築物の上に、軌道が敷かれており、砂利を積んだトロッコが乗り入れてホッパー下の国鉄の貨車に砂利を落として積み込んでいたはずですが、すでにホッパービン上の線路はなく、この構築物の下の空間を倉庫代わりに使用されていた様です。

 

⑱ 砂利運搬線のヤード跡とホッパー跡 (佐藤茂市商店作業場:1996年2月)

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写真⑱は、ヤード側から撮影したホッパービンの遺構です。しかし、この構築物は何年も放置され続けて、時間が止まっていました。

 

⑲ ホッパー跡の保管GL (佐藤茂市商店作業場:1996年2月)

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そして、構築物の中には2両のアレが・・・。アレとは、フリクションドライブである大変貴重な黎明期のガソリン機関車でした。ここも以前は周りが灌木などが生い茂り、立ち入ることもできない程のブッシュとなっていたので、この様にガソリン機関車を正面から撮影することが困難でした。しかし、この日は障害物もなく2両のガソリン機関車を拝むことができました。

 

⑳ ホッパー跡の保管GL (佐藤茂市商店作業場:1996年2月)

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2両のガソリン機関車と言い、真ん中の得体の知れない機械と言い、いったいいつの時代のモノなのか?

左のGLは、渡辺與助商店製の推定3t機、右のGLは松岡産業の推定3t機です。この2両は素性がはっきりせず、共にこの場所で砂利採取のトロッコを牽引して活躍していたのかも不明。このホッパービン跡に押し込まれて長い間眠りについていましたが、これも、死して屍拾う者なし状態です。

この時点では、このGLは佐藤茂市商店の所有となっていましたが、その後、2両とも個人に引き取られて安住の地に着いたのかと思っていましたが、残念なことに2両ともスクラップにされたとか・・・。

この機関車についても、改めてお伝えしますが、この日はいろいろと収穫がありました。特に引込線の全線を踏破できたことは、極めて運が良かったと思います。