この日の二日前は、雨の降るなか、このあたりをウロウロして撮影を行いました。雨の日はどうしても列車に近づいての撮影になりがちですが、この日は天気が良かったので、列車から少し離れて風景を入れた撮影を行いました。
1.モハ2115 (小舟渡~越前竹原:1994年5月)
この辺りは河岸段丘に線路が敷かれています。列車から離れて撮影すると河岸段丘の高低差が良くわかります。列車の背景には九頭竜川が流れていますが、河川敷が広くて川は見えません。
2.モハ2115 (小舟渡~越前竹原:1994年5月)
列車は、貫通化によって少し変な顔になったモハ2115です。モハ2101形は片運車も両運車も元阪神モハ5231形の車体に旧モハ2001形(元南海モハ1201形)の足回りと京阪電車のお古の制御装置などの臓物を組合わせた車両ですが、なぜかモハ2101~2108は新造扱いで、モハ2109~2116はモハ2001形の名義を引き継いでいました。
3.モハ2115 (小舟渡~越前竹原:1994年5月)
このモハ2115は、旧モハ2003から台車等流用と名義を引き継ぎましたが、新造グループのモハ2101形とは何ら変わりはなく、名義の引継ぎなどは認可申請上の手抜きとしか思えません。しかし、明治時代のマッチ箱客車の名義を引き継ぐ、この頃の近江鉄道の元西武電車に比べればかわいいものです。
4.モハ2115 (小舟渡~越前竹原:1994年5月)
ところで、もう2連は全く登場しません。しかも単行の電車もガラガラです。これが当時の越前本線の実態です。その後も客離れに歯止めが掛かりません。1992年に越前本線の東古市~勝山間と永平寺線の廃止が表明されましたがいつまでもつか?
5.モハ2115 (小舟渡~越前竹原:1994年5月)
その後の越前本線は本当にいろいろありましたが、結果として京福電鉄は撤退したものの、新生の「えちぜん鉄道」として3セク化されて生まれ変わり現在に至ります。
6.モハ2201形列車交換 (越前竹原:1994年5月)
今回は越前本線のラッシュアワーの様子をお伝えしていましたが、もうラッシュは終わってしまい閑散時間帯になっていました。走る車両も、もう変わり映えしない面々です。この後は発坂方面に移動してまだまだ沿線撮影は続きますが、その様子は別途お伝えします。