ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第1149話 1994年呉市交:山陽路保存車の落穂拾い(その4)

今回は超マイナーな呉市電の保存車です。呉市電は1967年に廃止となり、もう半世紀以上も昔の話しです。そもそも呉市電を知る人がどのくらいいるのかわかりませんが、普通の人なら、呉と言えば、「戦艦大和」か「仁義なき戦い」です。ちなみに、私が呉市電を知ったのは中学校時代でしたが、すでに廃止から9年後であり、その頃の呉は、何よりも「イルカにのった少年」の「城みちる」でした。

 

1.2001(保存) (呉市豊栄交通公園:1994年6月)

さて、そんな昔に廃止となった呉市電の車両が呉市内に保存されていました。そこはJR阿賀駅近くの豊栄交通公園です。それを見に行ったのは1994年なので、廃止からすでに27年後の事でした。それが、この2000形2001号です。

 

2.2001(保存) (呉市豊栄交通公園:1994年6月)

この2000形は呉市電の最終増備車です。1961年ナニワ工機製で3両導入されました。空気ばね台車を採用した先進的な軽量車体の電車ですが、どこかで見た様な電車です。実はこの電車は伊予鉄のモハ50形後期車とは兄弟車両でした。ちなみに、この電車の先輩である1000形は廃止後に伊予鉄に譲渡されモハ1000形となり、伊予鉄で廃車後に1001号が2004年に呉に戻って、この2001号の後継車として保存されましたが、結局この2001号は解体されて現存しません。

 

3.2001(保存) (呉市豊栄交通公園:1994年6月)

その他にも、呉市電は600形、700形、800形が岡山電軌に、2000形、3000形が仙台市電に移籍しましたが、いずれもマイナーでした。岡電時代の呉市電の様子は第711話をご覧下さい。

 

4.呉市電路線図(引用:国土地理院1/50000地形図「呉」昭和41年発行)

さて、あまりにもマイナーな呉市電なので、ご参考までに国土地理院の地形図で路線を示します。適宜、拡大してご覧ください。この地形図は呉市電が廃止となる1年前の1966年のものです。地形図では路面電車の路線も一応表記されていますが、縮尺が1/5万になると細かくて見にくいので呉市電の路線を赤線で示しました。この地図を見ると、呉市電は路線廃止時点、西端の川原石~東端の長浜までの約11.3㎞の全線併用軌道の路線で、国鉄呉線川原石~広間と並行する路線でした。この頃の呉線はまだ非電化で、呉と阿賀をトンネルでショートカットする路線でしたが、呉市電は大きく迂回して市街地を縦断し、40‰の勾配で峠を越えて阿賀の街へつながっていました。面白いのは道路の関係なのか、国鉄の駅前には乗り入れていませんでした。(なお、国鉄呉駅まで支線が存在した時期がありました。)

 

5.2001(保存) (呉市豊栄交通公園:1994年6月)

呉市電はお隣の広電の陰に隠れて1967年に早々と店じまいしてしまいましたが、1961年にはワンマンカーを導入するなど、広島よりも一歩先を進んでいた様です。呉は「戦艦大和」と「仁義なき戦い」だけではありません。今一度、「呉市電」と「城みちる」を忘れてはなりません。