ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第1151話 1990年西大寺+α:山陽路保存車の落穂拾い(その6)

今回は「山陽路保存車の落穂拾い」の最後である西大寺鉄道です。西大寺鉄道の廃止は1962年であり、当然私は現役時代を知りませんが、1979年に廃止後も放置されていた貴重な単端式気動車を見るため西大寺を訪れた事がありました。その時の様子は、第520話でお伝えしましたが、タッチ差で単端式気動車が解体撤去された後で、残っていた崩壊寸前のキハ6を撮っただけでした。その時は、落胆が大きく、もう1両保存されていたキハ7のことをすっかり忘れてしまい、現物を見ないで引き上げてしまったわけですが、そのキハ7を初めて拝んだのは、1990年の片上鉄道訪問のついででした。

 

1.キハ7(保存) (西大寺バスターミナル:1990年12月)

この時は、西大寺の他にも、すぐ近くの長船に保存されていた下津井電鉄の車両なども見て回りましたが、下津井の保存車については、第405話第1067話をご覧下さい。

 

2.キハ7(保存) (西大寺バスターミナル:1990年12月)

さて、キハ7ですが、何とも渋い流線形バケットカーです。しかもこの車両は軌間が914㎜という、1936年川崎車輌製のレアな軽便気動車です。

 

3.キハ7(保存) (西大寺バスターミナル:1990年12月)

キハ7の保存状態は、1979年に見た崩壊寸前のキハ6とは雲泥の差です。親会社の両備バスに手厚く守られている様です。現在は、少し場所を移動した様ですが、西大寺バスターミナルに設置されており、この当時の様に放置自転車に囲まれることもなく、屋根付きの展示となっています。ふと、親会社を亡くした井笠のホジ9が哀れでなりません。

 

4.キハ7(保存) (西大寺バスターミナル:1990年12月)

この車両は、廃止直前に踏み切り事故に遭い、前面を損傷したそうです。しかし、廃止当日までに緊急復旧させたそうで、関係者のこの車両に対する思いが伺えます。どの部分を修復したのか、見た目では判りません。

 

5.キハ7(保存) (西大寺バスターミナル:1990年12月)

本当は、梅鉢単端が1両でも残っていたら素晴らしいことですが、改めて残念でなりません。

 

6.キハ7(保存) (西大寺バスターミナル:1990年12月)

西大寺鉄道の保存車は、この他にも岡山市内の池田動物園に客車ハボ13と貨車ワボ3が井笠のSLと共に現在も保存されています。そちらは、まだ見ていませんが、できればキハ7との連結展示に期待したいところです。

 

7.加藤製作所製6.5t機 (岡山某地:1990年12月)

そして、+αです。このMr.KATOは、国道2号線沿いに埋もれていました。偶然通りかかった際に見つけましたが、これは一体何なのか?、全く素性が不明でした。その後の調べで、この場所にあったジーンズ工場の看板用に1976年頃から置かれていたものでした。元は1956年製の狭軌用スイッチャーで、岡山県内のビール工場や専売公社の専用線を転々としてここに来たそうです。このまま朽ちてしまうのかと思っていましたが、1999年に無事に引き取らて、加悦興産の加悦SL広場に落ち着きました。しかし、その加悦SL広場も2020年3月末で閉園となり、その後NPO法人に継承されましたが、すでに何台かの保存車両は新天地に離散して行きつつ現在に至ります。果たして、このMr.KATOの今後はどうなることやら・・・・。

1990年代に私が見て来た山陽路保存車の落穂拾いは以上です。保存車両にとっては、いずこも厳しい状況ではありますが、意外にも現存しています。これらは、ボランティアによる影の支えによるものですが、末永く活動が続くことを願ってやみません。