以前より、1993年~1994年頃に活躍していた広電の電車を、形式ごとに話題に上げていますが、今回は3100形です。3100形は元々市内線と宮島線の直通用に製造された2連接の2500形でした。輸送需要の急激な増加で単車だった2000形が2連化された後、2500形は1986年に3連接化されて3100形となりました。
1.3101編成 (立町:1993年12月)
3100形については、第383話でもお伝えしましたが、5編成あった2連接の2500形1,2次車を組み替えて、3連接の3100形を3編成仕立てたもので、余った1車体の2506は廃車となりました。
2.3102編成 (荒手車庫:1994年5月)
3100形は製造にあたり、お金を掛けない様に極力2500形の臓物をそのまま流用し、車体も必要以上の改造を行わないように節約と言うのかケチ仕様で仕立てられました。その結果、連接台車に1台ずつモーターが搭載されて、編成で6台モーターとなりましたが、主制御装置は元の2台としたため、主制御装置の容量的に電制時はモーター4台の使用となりました。常時空制併用だったのでしょうか?
3.3101編成 (荒手車庫:1994年5月)
なお、3000形の建前、3100形も冷房化や前妻の行き先表示大型化及び前照灯の位置変更などが実施されました。登場当初は元々のピンク塗装を踏襲しましたが、その後グリーンライナー塗装に変更されました。
4.2506+2505 (天満町~小網町:1979年2月)
3100形を語る上で2500形を外すことはできませんので、ご参考までに2500形の画像もご覧下さい。この写真と見比べると3100形の前妻の変更点がよくわかります。
5.3102編成 (荒手車庫:1994年5月)
2500形は3連化により、定員が130人(座席64人)となりなりました。ちなみに2500形時代は定員が130人(座席56人)なので、定員が増えていませんが、これは認可時点の法令に準拠した定員計算上の数値なので、実質の輸送力は何とか3000形並となり、新系列の軽快電車が登場するまで、輸送力向上に貢献しましたが、その後も同年代の3000形共々生き延びます。
6.3101編成 (荒手車庫:1994年5月)
3100系は2500形と異なり、前面中央窓が開き窓ではなく固定化されました。しかし、3101編成の前面中央窓は、2500形の窓枠を流用していたので、他の3100形に比べてより2500形の面影が濃い車両です。
7.2001、3101編成 (荒手車庫:1994年5月)
2000形唯一オリジナルで残っていた2001とのツーショットです。2000形と2500形の妻形状はやや異なり、2500形は妻面が少し傾斜して、前面両脇の窓が2段サッシになっています。3100系は2500形の妻面そのものなので2000形との違いが改めてわかります。