ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第35話 1985年茨城交通 困ったCI化

1985年に待望の一眼レフを購入し、いよいよ本格的に撮影を開始しました。

しかしお金がなく、買えたのはカメラ本体と50㎜標準レンズのみ。フィルムもカラーですが逆輸入品。当時の私にはこれが精一杯の投資でした。

そのカメラは、当時一世風靡したとも言えるキャノンAE1。それから2000年頃まで公私共々このカメラのお世話になり、現在も手元にあります。このAE1を最初に使用したのは、1985年3月末の蒲原鉄道村松~加茂間のさよなら運転の時でした。その時はまだ使い勝手を得ず、オートモードでの撮影でしたが、マニュアルモードに初挑戦したのが今回ご紹介する茨城交通湊線でした。

 

1.北海道出身のキハ221 那珂湊~中根:1985年5月)

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茨城交通湊線”は現在の“ひたちなか海浜鉄道湊線”です。

茨城交通湊線には、1977年にも訪問したことがあります。その時は車体色があずき色で、いかにも田舎の気動車だったのですが、1985年当時は写真の様な白塗りになっていました。

ちょうど科学万博がつくばで開催された年だったのと、時はCI化が流行していたことから、茨城交通も田舎鉄道を脱却すべく中古気動車に厚化粧を施したようですが、なにも常磐線(当時の中距離電車)とお揃い?のカラーリングにしなくても・・・と思いました。一説によると小田急を真似たとも言われましたが、常磐線にせよ小田急にせよ、このての車両に白塗りは参りました。

 

2.北海道出身のキハ221 那珂湊~中根:1985年5月)

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写真のキハ221(注1)は、国鉄キハ22形そっくりの元羽幌炭鉱鉄道の車両です。北海道出身の名残で運転席側の前面窓は旋回窓のまま使用されていました。このキハ221は同形車と共に3両まとめて1971年に羽幌からやって来ました。形式はキハ22形で車号も羽幌時代のままです。車体色も当初は羽幌時代のあずき色に窓下白線のままで、このカラーリングが以降の茨城交通標準となりましたが、例のCI化?で、それまでは気動車にはタブーとされてた白装束になってしまいました。

(注1)キハ22形の車歴:茨交キハ22形(キハ221,222,223)←羽幌キハ22形(キハ221,222,223):1966年富士重工製)

 

3.国鉄キハ22形モドキが寄り合う那珂湊機関区 那珂湊:1985年5月)

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1970年代は石炭産業斜陽化で炭鉱の閉山が相次ぎ、炭鉱鉄道も共倒れしました。しかし、炭鉱鉄道のほとんどが、裕福な時代に気動車を新調しており、概ね車齢も若かったことから、大多数が本州に渡り第二の職場に転職しました。茨城交通でも古い車両の体質改善のため、廃止となった北海道の炭鉱気動車に目をつけ、お隣の関東鉄道と中古車を分け合いました。関東鉄道が夕張、芦別、雄別炭鉱に対し、茨城交通は留萌、羽幌炭鉱でした。茨城交通では頻繁に列車の併結を行っていたので、貫通タイプの車両はちょうど良かったようです。

 

4.検査中のキハ2004 那珂湊:1985年5月)

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那珂湊で台車を外して検査中だったのが、キハ2004です。この車両もキハ22形モドキの車両ですが、こちらは元留萌鉄道の車両です。羽幌車との外観上の相違は、前照灯の両脇にタイフォンが設置されており、前面窓の旋回窓がありません。茨城交通には留萌出身の気動車が5両在籍していましたが、キハ2004と同形車がもう1両いました。形式と車号は留萌当時のままで、キハ2000形(注2)を名乗り、羽幌車のキハ22形とは別形式でした。

(注2)キハ2000形の車歴

・茨交キハ2004←留萌キハ2004:1966年新潟鐵工製

・茨交キハ2005←留萌キハ2005:1966年東急車輛

 

5.旧色の元留萌のヘソ電 那珂湊:1985年5月)

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1985年当時、唯一旧塗装で残っていたのが元留萌の“ヘソ電”ことキハ1001(注3)です。色があせて、錆止め塗装の様相ですが、これがちょっと前までの茨城交通を代表するカラーリングです。とても田舎色ですが白装束よりずっと似合っていると思います。

ところでこの“ヘソ電”、電車じゃありませんが、腰部の前照灯が“ヘソ”の由来です。このヘソ(前照灯)は台車の旋回と連動してカーブの内側に首を振る機構となっており、優れものでしたが、正直はやりませんでした。キハ1001はこの時雨漏りがするとかで、御覧の通り、廃車寸前の状況でしたが、もう1両同形のキハ1002は白装束をまとい元気でした。

(注3)キハ1000形の車歴:茨交キハ1000形(キハ1001,1002)←留萌キハ1000形(キハ1001,1002):1955年日立製作所