かつて、「西の江若、東の常総筑波」と言われた二大非電化私鉄ですが、江若鉄道は国鉄湖西線に道を譲り消滅、一方、常総筑波鉄道は鹿島参宮鉄道と合併して関東鉄道となり、更なる巨大化を図りました。
私は、古い気動車に大変興味があり、中学生時代から古い気動車を追いかけ回していましたが、どうも関東鉄道はデカ過ぎて足が向きませんでした。しかし、1984年にかつての常総筑波鉄道だった筑波鉄道と関東鉄道常総線を巡り、まだ現役だった国鉄機械式気動車の成れの果てや、改造を受けてゲテモノと化したかつての優等車両を見て、再び気動車趣味が再燃してしまいました。
今回は、かつて常総筑波鉄道だった、筑波鉄道と関東鉄道常総線です。まずは、筑波鉄道です。例によって、インスタントカメラ時代の撮影で、しかも古いプリントからのスキャンなのでお見苦しい画像ですがご了承願います。
1.元常総筑波のロマンスカーキハ504 (常陸北条~筑波:1984年10月)
筑波鉄道は常磐線の土浦と水戸線の岩瀬を結ぶ全長40.1kmの比較的長い路線でした。全線開通は1918年で、社名は初代筑波鉄道→常総筑波鉄道→関東鉄道→2代目筑波鉄道と変遷してきました。沿線には目立った街や産業は有りませんが、筑波山という「がまの油」で有名な観光地を控えており、観光鉄道としても定着していました。しかし、晩年は輸送需要の極端な減少により、関東鉄道から切り離されてしまい、かつての “東の雄”の一翼も関東鉄道グループのトップを切って、1987年に廃止となりました。
2.北海道雄別炭鉱から来たキハ811(常陸北条~筑波:1984年10月)
筑波山は関東地方では結構有名な観光地ですが、筑波鉄道を利用していた人がどの程度いたのか?。1984年当時は常磐高速道路がすでに出来ており、自動車で飛ばせば都内から1時間半ほどです。これが鉄道だと上野から常磐線で土浦経由となり、土浦から筑波だけでも気動車で40分程かかり、目的地へは更にバスに乗り換えで、なんだかんだ3時間近くかかったはずです。
3.キハ504の社章とサボ (真鍋:1984年10月)
筑波鉄道の社章は、関東鉄道の社章の中央に筑波山を描いたものでした。
4.真鍋機関区の車両たち(真鍋:1984年10月)
蒸気時代の遺構が残る真鍋機関です。ここは土浦駅の隣に位置し、親会社の本社も隣接していました。筑波鉄道が廃止された現在も関東鉄道の本社はここにあります。
さて、筑波鉄道の車両ですが、結構強者がいました。
5.DD501(真鍋:1984年10月)
筑波鉄道にはDD501(注1)という立派なディーゼル機関車もいましたが、すでに貨物輸送はなく、実態は失業状態でした。しかし、この頃はまだ辛うじて年に何回かの団体輸送や国鉄から臨時客車の乗り入れがあったので、そのためだけに残っていました。
この機関車は常総筑波時代に常総線に投入されましたが、1973年に筑波線に転属してきました。B-Bロッド駆動で、機械式変速機と流体継手を組合せ、製造時としては高出力の450PSでしたが、当時関東鉄道グループが保有していた機関車のなかでは一番古い車両でした。