ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第57話 1984年筑波 大非電化私鉄の"東の雄”(その2)

1984年当時、筑波鉄道気動車常総筑波時代の自社発注グループ、北海道の雄別炭鉱から来たグループ、そして雑多な面々でした。一応観光路線でもあったので、クロスシート車が集められました。

常総筑波時代の筑波線は一番華やいだ頃で、急行「つくばね号」の運転や岩瀬から水戸線に直通して小山まで乗り入も行われました。しかし1984年当時は急行も直通もなく、ひなびたローカル線になってしまいました。

 

1.日車標準車体のキハ504他 (真鍋:1984年10月)

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キハ500形(注1)は常総筑波鉄道が急行用に新製したクロスシートのデラックス車です。同形車が5両いましたが、キハ501,502は常総線に転じ、キハ503~505の3両が筑波線に残りました。

この車両は日本車輌製の地方鉄道向け標準型気動車の先駆けで、後に増備されたキハ800形や同和鉱業小坂鉄道のキハ2000形に発展しますが、その頃は国鉄の旧型気動車が地方鉄道へ放出されていた時期であり、あえて新車を導入する鉄道は少なかったのか、時期尚早ではやりませんでした。しかし、キハ500形は当時の国鉄気動車に比較し、デザインも優れ、バス用機関の採用でステップレスを実現するなど、私は日車の名車だと思っています。

また、キハ500形は1960年から国鉄の要請を受けて、岩瀬から水戸線に乗り入れて小山まで直通運転をしていました。途中下館からは国鉄気動車と併結されましたが、残念ながら国鉄車とは総括制御ができず、機械式のごとく乗務員が中間運転台に乗って小山まで協調運転を行っていたそうです。

(注1)キハ500形の車歴

・筑波キハ503←関東キハ503←常総筑波キハ503:1959年日本車輌

・筑波キハ504,505←関東キハ504,505←常総筑波キハ504,505←常総筑波キハ501,502:1959年日本車輌

ところで、どうでも良いことですが、キハ500形は入線時キハ501,502が常総筑波初の空気ばね車でありながら、キハ503~505は一般のコイルばね車でした。当時空気ばね台車は最新かつデラックスであり、空気ばね車の車号はコイルばね車のあとに続けるべきとの、“鶴の一声”があったのか?、入線直後に改番を行い、コイルばね車のキハ504,505がキハ501,502となり、空気ばね車のキハ501,502がキハ504,505となりました。その後、コイルばね車のキハ501,502が常総線に移ったので、筑波線にはコイルばね車のキハ503と空気ばね車のキハ504,505が残りました。

 

2.北海道雄別炭鉱出身のキハ761 (真鍋:1984年10月)

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 3.北海道雄別炭鉱出身のキハ763 (真鍋:1984年10月)

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 キハ760形(注2)は、雄別鉄道が新製した国鉄キハ21形ベースの20m級大型車両です。しかし、台車は古風な菱枠型でした。この中途半端さがローカル私鉄の魅力でもありますが、メーカーが新潟鐵工だったので納得!!。

雄別鉄道の車両は、雄別炭鉱の閉山に伴い気動車6両が関東鉄道に譲渡されましたが、そのうちキハ760形3両とキハ810形2両が筑波線に配置され、唯一片運だったキハ813だけが常総線の所属となりました。

(注2)キハ760形(キハ761~763)の車歴

・筑波キハ760形(キハ761~763)←関東キハ760形(キハ761~763)←雄別キハ49200形(キハ49200Y1~49200Y3):1957年新潟鐵工所

 

4.西のライバル江若鉄道から来たキハ511(真鍋:1984年10月)

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キハ511(注3)は、なんと西のライバルだった元江若鉄道の車両でした。まさかここでも元江若に逢うとは思いませんでしたが、実は江若の車両は他にも、結構関東鉄道で再就職していました。

キハ511は元江若鉄道キハ5120で、江若廃止後の1970年に関東鉄道に譲渡され、車号もそのまま常総線に配属されました。1972年に筑波線に配転され、その後筑波鉄道に分離される際に、竜ケ崎線に配転決定となりました。しかし、現車は筑波鉄道にそのまま居座り、結局竜ケ崎線には転出せずに一旦関東鉄道を廃車となり、それを筑波鉄道が引き取った後、簡易な改修を行って、筑波鉄道の廃止まで活躍しました。ところでこの車両、見るからに滑稽な容姿をしていますが、江若では最後の新製車で、関西の大鉄車輌というメーカーで製造されたレアな車両です。

(注3)キハ511の車歴:筑波キハ511←関東キハ511←関東キハ5120←江若キハ5120←江若キハ30:1963年大鉄車輌製

 

5.戦後製バケットカーのキハ541(真鍋:1984年10月)

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筑波のゲテモノと言えばキハ541(注4)です。この車両は、北陸鉄道能登線から譲受した古風な戦後製のバケットカーですが、北陸鉄道が客車として発注したものです。

1957年製なので、当時の北陸鉄道の電車同様に張り上げ屋根のスタイルを採用したものと思いますが、車端に荷台を設けた意味が分かりません。恐らく能登線の沿線で捕れた魚を運ぶための鮮魚台ではないかと思いますが、そのままの姿で筑波に来てしまいました。筑波では何を運んだのか? なお、この車両は1963年に気動車化され、北陸鉄道能登線廃止後、1972年に他の気動車3両と共に関東鉄道筑波線にやって来ました。 

キハ541は筑波線では2歳年下のキハ500形などとも仲良く連結運転されましたが、私にはこの2歳の年の差が20歳くらいの差に見え、とても同じ日車製とは思えませんでした。

写真をご覧の通り、1984年当時キハ541は真鍋機関区の側線で休車状態で留置されていました。その後ろには更に古風な元国鉄キハ41000形のキハ461も留置されていました。ちなみに、キハ461は元国鉄のキハ41056で、現在鉄道博物館で保存されています。

(注4)キハ541の車歴:筑波キハ541←関東キハ541←北陸能登キハ5301←北陸能登コハフ5301:1957年日本車輌

 

6.キハ541の車内(真鍋:1984年10月)

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 キハ541は筑波鉄道では唯一のロングシート車でした。元客車だったのが興味をそそります。

 

この翌年、「つくば」では科学万博が開催されます。しかし、筑波鉄道にはなんら関係もなく、こちらは未来が見えない「筑波」でした。筑波鉄道はその後経営悪化となり、1987年の3月末に廃止となります。

この日は、筑波鉄道を訪問後、足早に次の関東鉄道水海道機関区へ移動しましたが、私はその後も筑波鉄道の最後まで気動車を追いかけました。