ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第58話 1984年関東(常総) 大非電化私鉄の"東の雄”(その3)

気動車好きの私にとって、敷居の高かったのが関東鉄道常総線でした。

その理由は常総線がすでに通勤路線化されており、とてもローカル線とは言えない路線になっていたことと、歴史ある車両もことごとく“関東流の洗礼”を浴びて普通の通勤車に改造されていたためです。しかし、これら車両の動向が非常に気になっていました。

よって1984年10月、筑波鉄道真鍋機関区を訪問後、関東鉄道常総線水海道に出向きました。水海道に到着したのはもう夕方でした。早速機関区に出向いて撮影許可をもらいましたが、夕方の出庫で車庫内はほぼ空っぽ!! とりあえず車庫内にいた車両を急いで撮影し、あとは駅のホームで撮影することにしました。

さすがに常総線は通勤路線です。複線を列車は次々とやって来ました。つい先ほど筑波鉄道で見たような車両もいましたが、どの車両も実はかなりの強者で、非常に興味をそそります。

 

1.日車標準気動車の決定版キハ801 (水海道:1984年10月)

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筑波鉄道にいたキハ500形の後継車がキハ800形(注1)です。この車両はキハ500形より大形の20m車で日車標準気動車の決定版です。DMH-17H機関を搭載していますが、基本デザインはキハ500形空気ばね車を踏襲しています。

キハ800形は常総筑波鉄道時代に5両新製され、キハ801~803が常総線に、キハ804,805が筑波線に配属されました。筑波線ではキハ500形を差し置いて、急行「つくばね号」や水戸線直通運用に充当されましたが、キハ500形が国鉄気動車と総括運転できなかったの対し、キハ800形は総括運転ができました。 常総線では特急「しもだて号」に充当されましたが、1965年に筑波線の国鉄乗り入れが廃止されると、キハ800形は全車常総線に集結し、ロングシート化されました。

(注1)キハ800形の車歴

・関東キハ801~805←常総筑波キハ801~805:1961年日本車輌

 

2.帰宅ラッシュ用に3連で運用する800形と900形 (水海道:1984年10月)

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常総線の取手~水海道間は完全な通勤路線です。よってこの線に投入される車両は有無を言わさず関東流(通勤車化)改造の洗礼を受けます。例えばロングシート化は勿論のこと、3ドア化、ステップの撤去などなど。なかには元車端デッキ付きの優等列車もこの洗礼を浴びてしまい、無残な姿をさらしていました。

 

3.常総線のキハ500形 (水海道:1984年10月)

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 キハ800形の導入によって、筑波線から玉突きでやって来たのが、キハ501,502(注2)です。この2両は当初キハ504,505だったことは第56話で周知頂いたと思います。

常総線では、キハ500形とキハ800形はロングシート化されましたが、幸い3ドア化はされず外観は原型を維持しました。しかし、車体広告が興覚めします。

(注2)キハ500形の車歴

・関東キハ501,502←常総筑波キハ501,502←常総筑波キハ505,505:1959年日本車輌

 

4.無関心のキハ310形(水海道:1984年10月)

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 古い車両しか興味がない私にとって、どーでもよい存在だったのがキハ310形(注3)です。見ての通り全く古くありません。なぜこの車両の写真を撮ったのか記憶がありませんが、恐らくは、他にまともに写真が撮れる車両がいなかったからだと思います。水海道機関区は狭く、昼間に行くと車両がギュウギュウ詰めに留置されており、まともな写真が撮れませんでした。写真は機関区の一番端っこの洗車線ですが、ここも車両が延々と留置されていました。

ところでキハ310形は見た目は新しい車両ですが、新しいのは車体だけで、台車や機関、機器類は国鉄キハ17系のお古を流用した車両で、さほど新しくもありません。車歴上も元の国鉄車両の名義を引き継いでいます。1977年~1979年にかけて導入されましたが、さすがにキハ17系を3扉ロングシート化して再生する時代ではなく、車体を新製して小綺麗な新車モドキで登場しました。全車片運車で、運転台が取手寄りにあるのが偶数番号車です。基本的に2両編成で使用されましたが、固定編成化はされていませんでした。

(注3)キハ310形の車歴

・関東キハ311,312←国鉄キハ1723,1724←国鉄キハ45022,45023:1953年川崎車輌製(1952年大栄車輌にて車体新製)

・関東キハ313←国鉄キハ164←国鉄キハ45503:1954年新潟鐵工所製(1952年新潟鐵工所にて車体新製)

・関東キハ314←国鉄キハ1694←国鉄キハ45593:1955年帝国車輌製(1952年新潟鐵工所にて車体新製)

・関東キハ315←国鉄キハ17171←国鉄キハ45170:1954年日立製作所製(1952年新潟鐵工所にて車体新製)

・関東キハ316←国鉄キハ17187←国鉄キハ45186:1954年東急車輛製(1952年新潟鐵工所にて車体新製)

・関東キハ317←国鉄キハ166←国鉄キハ45505:1954年新潟鐵工所製(1954年新潟鐵工所にて車体新製)

・関東キハ318←国鉄キハ17173←国鉄キハ45172:1954年日立製作所製(1954年新潟鐵工所にて車体新製)

 

5.検査入場中のキハ721 (水海道:1984年10月)

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 キハ721(注4)は1形式1両の新しい様な古い様な不思議な車両です。この車両は元加越能鉄道加越線の車両で、路線廃止によって1973年に仲間の車両と共に関東鉄道にやって来ました。加越能鉄道では一番新しい1964年製の自社発注車で、両運3ドア車でしたが、譲受後に大栄車輌で関東流の洗礼を浴び、片運化、中央ドアの両引き化、ステップの撤去が行われて、ゲテモノの一員になってしまいました。ちなみに前面の中途半端な湘南顔は加越能時代からのオリジナルで、関東鉄道のせいではありません。正直変な顔ですが、切妻食パン顔にならなかっただけでもましです。

(注4)キハ721の車歴:関東キハ721←加越能キハ187:1964年富士重工製。

 

6.若作り?のキハ610(水海道:1984年10月)

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キハ610形(注5)も一見新しそうな車両に見えますが、どっこい一番古い車両です。その正体は車体側面をご覧頂くと面影が散見されますが、元国鉄キハ42000形の成れの果てです。その経歴は各車なりに一筋縄ではいきません。こういうのがまだ走っていたのが常総線ならではの魅力です。

国鉄キハ42000形といえば正面6枚窓の優雅な卵型流線形が特徴ですが、関東鉄道では余程流線形がお気に召さなかったようで、ある時期から無情にも食パン切妻化を徹底し、優雅な流線形はこんな格好になってしまいました。ところで常総線には元国鉄キハ42000形が結構再就職しています。そのうち5両が1975年に“関東流の洗礼”を浴びてキハ610形になりました。それにしても種車が古いだけあって車内は板張りで、台枠も車体中央が垂れ下がり、かなりくたびれた車両ですが、常総線がローカル線だった頃を彷彿させる車両でした。

なお、キハ610形は改造時に総括制御化と片運化され、運転台が取手寄りにあるのが偶数番号車ですが、2連化はされず、ほとんどはラッシュ時の増結車として使われました。

(注5)キハ610形の車歴

・関東キハ611←関東キハ707←加越能キハ173←国鉄キハ07106←国鉄キハ42605:1952年新潟鐵工所

・関東キハ612←関東キハ42502←国鉄キハ0726←国鉄キハ42525←国鉄キハ42213←国鉄キハ42027:1936年川崎車輌

・関東キハ613←関東キハ705←関東キハ42002←国鉄キハ0735←国鉄キハ42534←国鉄キハ42040:1937年国鉄大宮工場製

・関東キハ614←関東キハ706←北陸キハ5251←国鉄キハ0731←国鉄キハ42530←国鉄キハ42206←国鉄キハ42034:1937年国鉄大宮工場製

・関東キハ615←関東キハ42501←国鉄キハ0730←国鉄キハ42529←国鉄キハ42214←国鉄キハ42033:1936年川崎車輌

キハ610形の車歴を見ると、キハ611が戦後製の最初からディーゼルカーだったキハ42600形ですが、キハ612~615は戦前製のガソリンカーだったキハ42000形であることがわかります。また、興味深いのはキハ612と615はキハ42200形時代、すなわち戦時中の燃料統制で代燃車(天然ガスカー)の時代を経てディーゼル化されています。

そして、キハ611は加越能鉄道、キハ614は北陸鉄道能登線で活躍した後に関東入りしました。

国鉄キハ42000形は、最終的に全車ディーゼル化されて、その後の改番でキハ07形を名乗りましたが、関東鉄道転入後も一時期キハ42000形、42500形を名乗ります。

こんな車歴を知って乗れば、おんぼろ車も親しみが持てます。