この日は梅雨晴れとは言うものの、晴れていたのは朝のうちだけでした。
小雨も降り始めたので、そろそろ撤収です。
1.保線列車 (中小屋スイッチバック:1992年6月)
続行列車のラストは、保線列車でした。保線作業は列車運行の合間を縫って作業するため、列車が来たら最寄りの退避場に移動しなければなりません。
2.保線列車 (中小屋スイッチバック:1992年6月)
このあと、このスイッチバックで保線作業が始まりました。
3.アコーデオン・カーテン付の開放型人車 (千寿ケ原:1992年6月)
この車両は、当時の立山砂防軌道でメジャーだった アコーデオン・カーテン付の9人乗りの人車です。このようにカーテンを閉めれば風雨はしのげますが、貨車同然。これで1時間45分の乗車はあまりに過酷です。
4.アルミサッシの密閉型人車 (千寿ケ原:1992年6月)
そして、その後導入されたのが、このアルミサッシの物置のような人車です。気密性も良くなり、ちゃんと側窓も付いて、ようやく客車らしくなりました。
5.アコーデオン・カーテン付の開放型人車 (千寿ケ原:1992年6月)
ガムテープ貼りのカーテンが痛々しい人車です。
しかし、このカーテン付の人車が導入される前は、カーテンも付いていない吹きさらしの車両でした。この車両で毎日、山に通う人たちには風景を見るよりも風雨がしのげる方が、よほどマシだったのかもしれません。
6.新型の密閉型鋼製人車 (千寿ケ原:1991年8月)
この写真は1991年8月に撮影したものですが、これが当時最新型の人車でした。全天候型の密閉型鋼製車で、推進運転用ライト付きのグレードアップ車です。
7.8人乗り1.5tモーターカー (千寿ケ原:1992年6月)
この車両は、1970年に導入された堀川工機製の巡回用モーターカーのリア側です。
リアと言っても前照灯もワイパーも付いており、バック運転も可能でした。
しかし、北陸重機製の新しいモーターカーが導入されて、廃車となってしまいました。
ところが、このモーターカーは、その後意外なところで復活します。
8.SKWの終焉(千寿ケ原:1991年8月)
この写真も1991年8月の撮影ですが、いよいよ立山砂防のSKWも終焉を迎えました。この機関車は、1966年酒井工作所製のTld-051です。すでに廃車となり、側線に留置されていた状態です。
立山砂防も車両は世代交代となり、面白味に欠けてきましたが、それでも沿線風景に魅了され、1992年はこのあと2回訪問します。そして18段スイッチバックを極めることになります。