ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第450話 1992年立山砂防:予防保全的処置(その5)

この日は梅雨晴れとは言うものの、晴れていたのは朝のうちだけでした。

小雨も降り始めたので、そろそろ撤収です。

 

1.保線列車 (中小屋スイッチバック:1992年6月)

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 続行列車のラストは、保線列車でした。保線作業は列車運行の合間を縫って作業するため、列車が来たら最寄りの退避場に移動しなければなりません。

 

2.保線列車 (中小屋スイッチバック:1992年6月)

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 このあと、このスイッチバックで保線作業が始まりました。

 

3.アコーデオン・カーテン付の開放型人車 (千寿ケ原:1992年6月)

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この車両は、当時の立山砂防軌道でメジャーだった アコーデオン・カーテン付の9人乗りの人車です。このようにカーテンを閉めれば風雨はしのげますが、貨車同然。これで1時間45分の乗車はあまりに過酷です。

 

4.アルミサッシの密閉型人車 (千寿ケ原:1992年6月)

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 そして、その後導入されたのが、このアルミサッシの物置のような人車です。気密性も良くなり、ちゃんと側窓も付いて、ようやく客車らしくなりました。

 

5.アコーデオン・カーテン付の開放型人車 (千寿ケ原:1992年6月)

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 ガムテープ貼りのカーテンが痛々しい人車です。

しかし、このカーテン付の人車が導入される前は、カーテンも付いていない吹きさらしの車両でした。この車両で毎日、山に通う人たちには風景を見るよりも風雨がしのげる方が、よほどマシだったのかもしれません。

 

6.新型の密閉型鋼製人車 (千寿ケ原:1991年8月)

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この写真は1991年8月に撮影したものですが、これが当時最新型の人車でした。全天候型の密閉型鋼製車で、推進運転用ライト付きのグレードアップ車です。 

 

7.8人乗り1.5tモーターカー (千寿ケ原:1992年6月)

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 この車両は、1970年に導入された堀川工機製の巡回用モーターカーのリア側です。

リアと言っても前照灯もワイパーも付いており、バック運転も可能でした。

しかし、北陸重機製の新しいモーターカーが導入されて、廃車となってしまいました。

ところが、このモーターカーは、その後意外なところで復活します。

 

8.SKWの終焉(千寿ケ原:1991年8月)

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この写真も1991年8月の撮影ですが、いよいよ立山砂防のSKWも終焉を迎えました。この機関車は、1966年酒井工作所製のTld-051です。すでに廃車となり、側線に留置されていた状態です。

立山砂防も車両は世代交代となり、面白味に欠けてきましたが、それでも沿線風景に魅了され、1992年はこのあと2回訪問します。そして18段スイッチバックを極めることになります。