ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第455話 1989年JR(鶴見):工場地帯のチャバネゴキブリ

毎度のフレーズですが、「私は国鉄の車両にはほとんど興味がありません」でした。しかし、こんな旧国の写真を撮っていました。

私より若い年代の方は、こんな茶色い電車がかつて山手線や京浜東北線など首都圏を走っていたことをご存知ないかと思いますが、ちょうど前の東京オリンピックの頃でしょうか、茶色いゲタ電はカラフルな国電に代わる頃でした。

ところで、私にとっての茶色い電車は、かつて住んでいた広島の可部線にいたクモハ11形、12形、クハ16形です。可部線には1976年まで17m級の茶色い電車がいました。しかし、国電に興味がなかったことと、灯台下暗しとでも言いましょうか、1枚も写真を撮っておらず、残念な思いしかありませんでした。

ところが、可部線で撮らず仕舞いだったクモハ12形が、平成のバブル期にまだ走っていました。しかもすぐ近くのJR鶴見線に!!

鶴見線が果たしてローカル線と言えるかどうかは別にして、今回は茶色いクモハ12形を追い掛けた、1989年の鶴見線の話題です。

 

1.クモハ12053 (浅野:1989年1月)

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 正直申しまして、鶴見線クモハ12は動態保存的なイベント目的で残していたのかと思っていたので、全く関心がなかったわけですが、実態は武蔵白石駅の建築限界の都合で、20m車の大川支線への入線が困難だったことが理由でした。よって、鶴見線から旧国が消えた以降も、大川支線用に17m車のクモハ12形が残されたと言うことで、ヤラセでもなんでもありませんでした。

 

2.クモハ12053 (浅野~新芝浦:1989年4月)

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 そんな理由を知って、初めて鶴見線を訪れたのは、1989年1月のある土曜日でした。

それまで鶴見線の存在は知っていましたが、土曜日の鶴見線が超ローカルである実態を初めて知り愕然としました。と言うのは、JTBなどの時刻表では首都圏の国電の時刻表があまりにもラフすぎて、鶴見線に関しては運行実態がさっぱりわからず、適当に走っているのだろうと現地に行くまで思っていましたが、実際は、平日の日中ですら本数が少ないのに加えて、土日ダイヤはストライキでもやっているかの様な開店休業的ダイヤだったからです。そう言えば、工業地帯を走る鉄道はどこも同じです。かつて水島臨海鉄道や岡山臨港鉄道で学習していたことをすっかり忘れていました。

 

3.JTB時刻表1986年1月号の抜粋

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ご参考までに当時のJTB時刻表から鶴見線の部分を抜粋しました。現在も同様ですが、鶴見線の時刻表はこの程度で、肝心な日中の時刻が全くわかりません。左の欄外に、「鶴見線は休日には多少時刻の変更があります。」と、記載されていますが、「多少」どころではありません。 

 

4.新芝浦駅ホーム (新芝浦:1989年1月)

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 ところで、事前情報によると、土日もクモハ12形は走り、運用の都合で日中は海芝浦にも顔を出すとのことでした。これを効率よく撮影するには、あの手しかありません。

それは、「 禁断の路線バス」です。

 

5.クモハ12053 (新芝浦~浅野:1989年1月)

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 路線バスを調べてみると、これが大正解!!

なんと横浜市営バス臨港バスが土日も頻繁に鶴見線沿線を走っていました。しかもレアな系統も時間を調べておけば、クモハ12形の撮影にドンピシャ!!これを利用するに他ありません。そんなわけで、休日の楽しみが増えました。

 

6.クモハ12053 (浅野:1989年1月)

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 そして、初めて目の前に現れた鶴見線クモハ12形は、可部線のような前面の警戒塗装もなく、真っ茶色でしかも単行!!チョロチョロ走る様子は、まるでチャバネゴキブリのごときでした。

 

7.クモハ12052 (安善:1989年4月)

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 しかし鶴見線には、まともな撮影場所がありません。これには参りました。

まずは、安善駅周辺です。とりあえず安善駅のまわりはかつての引き込み線の名残りでヤードになっており、比較的開けていました。ここなら何とか撮れるだろうと、狙ったのがこの写真です。幸い障害物はなく、前方からチャバネゴキブリが現れました。

 

8.クモハ12052 (安善:1989年4月)

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 この頃、鶴見線にはクモハ12形が2両いました。クモハ12052と12053です。この2両が交互に運行されていました。