ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第1188話 1995年阪堺:丘の上の憧れ(その2)

丘の上の上町線の撮影が続きます。上町線帝塚山四丁目電停から北畠電停の先までが併用軌道です。道路幅の都合、軌道敷内の自動車通行が認められていますが、この区間は比較的交通量が少なく、電車と車は仲良く共存していました。

 

1.モ302 (姫松:1995年12月)

ここは姫松と言う上品な名前の電停ですが、町名とは関係がなく、その由来が気になります。重厚な塗装の「すしのこ電車」がやって来ました。このオリエント急行モドキの塗装ですが、金縁の窓枠が往年のニス塗の様にも見えて、南海塗装時代を連想させます。この塗装は数ある阪堺電車の車体広告の中では一番まともな塗装ではないかと思いました。

 

2.モ129 (北畠:1995年12月)

今度はモ129です。この電車は元大阪市電ですが、元大阪市電の電車もここと広電に残る程度でした。広電の元大阪市電も強烈な広告電車が存在しましたが、それでも大阪市電のオリジナル塗装車もありました。阪堺では大阪市電の塗装とは言いませんが、せめて南海時代のグリーンの電車を1両くらい再現してもらいたかったです。

 

3.モ124 (姫松~北畠:1995年12月)

この頃は元大阪市電1601形だったモ121形は9両在籍していましたが、次期更新車の臓物提供車として白羽の矢が立ってしまい、もう間もなく姿を消して行きました。

 

4.モ355 (姫松~北畠:1995年12月)

カルダン車モドキのモ355がやって来ました。この電車の塗装は、広告電車が横行する前の阪堺電車の標準塗装に似ています。もうこの塗装車はなくなったと思っていましたが、モ355のみ1両が残存していました。ちなみに、この入道雲模様の塗装は、水色以外にオレンジ色、緑色などがありました。

 

5.モ302 (北畠:1995年12月)

ここは北畠電停です。一応、ホーム状の安全地帯になっています。電停部分は軌道敷内を車が通行するので、電車が電停に停車すると、ときどき後続の車が反対車線に飛び出して電車を追い越していましたが、電車を降りた人も平気で道路を横断するので非常に危険です。

 

6.モ175 (姫松:1995年12月)

旧型車が結構続きます。モ121形、モ161形は昭和一桁生まれの電車です。この時点で、もう70歳近い年齢ですが、ここではまだまだ主力でした。

 

7.モ172 (姫松~北畠:1995年12月)

さんざん丘の上を歩き回って、そろそろ上町線は飽きてきました。次は丘を下って阪堺線の方に移動します。