帝塚山の「丘の上」の次は「丘の下です。上町線の姫松辺りから丘を駆け降りると阪堺線に突き当たります。今度は丘の下の阪堺線ですが、丘を駆け降りてゆくと、なんだか私の現実に見合った街並みとなり、内心ホッとした記憶が蘇りました。今頃になって、ふと、浜田省吾の「丘の上の愛」という歌を思い出しました。この歌の歌詞に、「丘を駆け降りてゆく夢」という一節があります。大変考えさせられる歌詞ですが・・・。帝塚山の丘を駆け下りた私は、所詮、丘の上に憧れる丘の下の人間ということです。
1.モ501 (東粉浜:1995年12月)
住吉で分岐した上町線と阪堺線は高低差のある路線ですがほぼ平行しています。上町線は帝塚山のハイソな住宅街を抜けて天王寺へ、一方、阪堺線は西成の下町からドヤ街を経て恵美須町へ向かいます。
2.モ123 (住吉~東粉浜:1995年12月)
阪堺線の沿線はちょっとハイソとは言えませんが、ヒンソでもありません。しかし、今池を過ぎた辺りからは近寄りがたいディープな雰囲気となります。地元の人からも、「アッチは行かん方がエェデ。」と言われていたので、今回はとりあえず東玉出までです。
3.モ708 (住吉~東粉浜:1995年12月)
阪堺線も基本的に上町線と同じ電車です。しかし、こちらは交通量が多く、路上駐車も多いので、撮影しづらいと同時に、車にはねられないように要注意です。
4.モ501 (東粉浜~塚西:1995年12月)
陽の向きは上町線と全くいっしょですが、車の少ない上町線の方が落ち着いて撮影ができました。この日はロケハン的な感じでしたので、撮影はこの程度です。いずれは、この先のディープな一帯に踏み込みます。
5.旧モ217(保存) (和歌山交通公園:1995年4月)
さて、話題が変わりますが阪堺電車の保存車です。この電車は和歌山県の南海貴志川線沿線の和歌山交通公園に保存された元平野線用のモ217で、以前にもブログで紹介していますが、その時よりもマシな画像が出てきたのでアップしました。
6.旧モ217(保存) (和歌山交通公園:1995年4月)
この車両は、車内にも立ち入り自由なので、来園者の休憩所に活用されていましたが、状態は比較的良好でした。塗装は少し色褪せていますが、旧南海色です。屋根上まで緑色に塗られていますが、これは間違いです。しかし、私は阪堺電車はこの色が一番似合うと思います。この当時の阪堺電車は、この旧塗装は1両も存在せず困ったものでした。