1995年頃、私は仕事の関係で堺市の泉北に住んでいました。暇な休日は関西の私鉄を乗り歩いていましたが、時々地元の阪堺沿線を彷徨していました。
1.モ161 (北畠~東天下茶屋:1995年12月)
阪堺電軌の話題は、第1094話の堺市内の彷徨以来ですが、今回は大阪市内に踏み込み、西成のディープな一帯を避けて、お隣の上品な一帯の彷徨です。
2.モ127 (姫松~北畠:1995年12月)
さて、上品な一帯とは具体的に「帝塚山」周辺のことですが、この帝塚山には、丘の上と丘の下にそれぞれ阪堺電車が走っています。たいてい丘の上はハイソな街で、丘の下はヒンソな街と言うのが、どこでも定説のようですが、はたして、ここはどうなのか?まずは丘の上から攻めてみました。
3.モ172 (北畠:1995年12月)
丘の上を走るのは上町線の電車です。上町線はもともと馬車軌道として明治33年に開業しました。初代阪堺電軌(阪堺線)よりも開業が11年も早く、南海鉄道合併後の明治43年には電化されました。そんなに古くから存在していたとは、やはりこの一帯はハイソな街と言うことです。
4.モ169 (北畠:1995年12月)
たしかに、由緒ありそうなお屋敷も散見されました。ところで、上町線は併用軌道区間もありますが、車の通行は少なく閑散としていました。やはり閑静な住宅街と言った雰囲気です。気のせいか歩いている人も、電車に乗っている人も品の良さそうな人ばかりに見えました。そして、下町で育った私には、なんとなく丘の上に惹かれるものがありました。
5.モ127 (北畠~東天下茶屋:1995年12月)
そんなハイソな街にこのド派手な電車はいかがなものか?。しかし、この滅茶苦茶な感覚が何でもありのナニワの文化の様に思えました。
6.モ161 (北畠~東天下茶屋:1995年12月)
さて、この日は暇つぶしで中途半端な午後から、フラフラと帝塚山へ出向きましたが、陽の向きが悪く、電車の正面を照らしていたので、同じような写真ばかりとなりました。
7.モ175 (北畠~東天下茶屋:1995年12月)
「お金持ちの街」を象徴するような、強烈な「銀行電車が来ました。しかし、銀ギラに輝く車体は、ハイソな街には似合わない下品さが滲み出ています。さっきから支離滅裂な塗装の広告電車ばかりで、まったくハイソ感がありません。しかし、ここはハイソな帝塚山です。