ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

2019-04-01から1ヶ月間の記事一覧

第127話 1985年上田交通 夏の塩田平に丸窓を求めて(その2)

今日で平成も終わりですが、坦々と昭和晩年のブログを発信します。 引き続き1985年の夏の上田交通ですが、この日は午後になると天気も真夏の様相となりました。 1.モハ5372,モハ5253 (下之郷:1985年9月) 下之郷での列車交換の様子です。この写真の左側…

第126話 1985年上田交通 夏の塩田平に丸窓を求めて

1985年の夏はバイト先で知り合った友人と、信州・北陸・中部を車で早回りしました。 その時の様子は何回かに分けて報告していますが、今回はその早回りで最初に訪問した上田交通です。上田交通は1984年の春と秋にも訪問しており、その時の様子は第24話~第29…

第125話 1985年蒲原 路線縮小の時(その8)

村松~加茂間の最終日もいよいよ大詰めです。名残乗車で4連も満員御礼状態でした。しかし、天気の回復は見込めず名残乗車も減って来ると、夕方には4連が3連となりました。 1.モハ81+モハ71+クハ10+モハ91 (七谷:1985年3月) モハ81(注1)は1973年に越後交通長岡…

第124話 1985年蒲原 路線縮小の時(その7)

最終日は雪が降ったりやんだりのあいにくの天気となりましたが、2本の4連を車で追い掛けてかなり充実した撮影となりました。 この日のダイヤもかなり乱れていました。車掌さんも4連なのでまともに集札などやってられなかった様です。 1.モハ91+クハ10+モハ71+モハ8…

第123話 1985年蒲原 路線縮小の時(その6)

とうとう大雪になってしまいました。 明日はもう4月というのに名残雪とでもいいましょうか、東京の感覚で軽装で来てしまい参りました。 1.モハ11+モハ51+モハ31+モハ12 (狭口~駒岡:1985年3月) ここまで天気が悪くなると車で来た甲斐がありました。列車が来るギ…

第122話 1985年蒲原 路線縮小の時(その5)

村松~加茂間の最終日である3月31日は、朝のうち列車は単行ばかりで、なかなかさよなら列車が登場しませんでした。天気も良かったのですが、さよなら列車が出て来る頃から空模様が怪しくなってきました。 1.モハ31 (狭口~七谷:1985年3月) モハ31は何の…

第121話 1985年蒲原 路線縮小の時(その4)

3月30日はさよなら列車が入庫した後も乗客が多かったのか、2連が充当されました。 3連のさよなら列車2本以外は、特に装飾は施されず普段のままでしたが、晩年は単行のワンマンカーしか運転されなかった村松~加茂間に2連が走るのも珍しかったのではないかと…

第120話 1985年蒲原 路線縮小の時(その3)

今回の撮影旅行も友人と一緒で、友人が借りた車で移動しました。前回の秋の撮影時も車だったので沿線の道路事情や裏道まで把握できており、列車を先回りするなど大変効率良く撮影できました。そしてこの時期の天気の急変も気にせず撮影に没頭できたのも車の…

第119話 1985年蒲原 路線縮小の時(その2)

蒲原鉄道の加茂駅は、国鉄の加茂駅に隣接していました。両駅とも同じ構内にあり、長らく蒲原鉄道が国鉄の加茂駅に同居している感じでしたが、晩年は駅の北側に蒲原鉄道の駅舎と改札が設置されました。かつては貨物の受け渡しもあったそうですが、機回し線も…

第118話 1985年蒲原 路線縮小の時

1985年3月末、蒲原鉄道は路線の大半である加茂~村松間を廃止しました。その「さよなら運転」を見届けるため、3月30日と31日の2日間、まだ春がほど遠い蒲原に私は友人と出向きました。 この時、私は初めて自前の一眼レフにチャレンジしました。カメラはキャ…

第117話 1988年津軽 北国の春(その6)

津軽の最終回は、客車列車の車両編です。 津軽鉄道は以前より気動車メーカーの新潟鐵工所との関わりが深く、当時の一世代前の機関車や気動車も新潟鐵工所製でした。特に前代のDC20形という機関車は箱型の奇妙な機関車で有名でしたが、戦後製新潟鐵工所の初っ…

第116話 1988年津軽 北国の春(その5)

5月の津軽は晴れれば最高ですが、花曇りの季節なのでこの日も午前中の撮影が勝負でした。よって、走行撮影は午前中に集中して行い、曇ったら列車に乗ってロケハンです。 1.DD351+オハフ331+オハ463 (毘沙門~嘉瀬:1988年5月) 毘沙門~嘉瀬間は起伏があ…

第115話 1988年津軽 北国の春(その4)

津軽鉄道は沿線風景は申し分ありませんが、客車列車以外の気動車は面白くありません。しかし気が付けば、面白くないキハ24000形もなくなってしまいました。 1.キハ24022 (津軽飯詰~毘沙門:1988年5月) 今はキハ24000形に代わり、NDCが走っていますが、…

第114話 1988年津軽 北国の春(その3)

今年の東京の桜はピークを過ぎました。これから桜前線はどんどん北上して行きますが、津軽の桜はGWの頃でしょうか。 青森は弘前の桜が有名ですが、津軽の芦野公園も負けていません。1988年5月のGWは、芦野公園の桜が満開で春爛漫でした。これが正真正銘の“北…

第113話 1988年津軽 北国の春(その2)

津軽飯詰からブラブラ歩いて、毘沙門まで来ました。 ここで、客車列車が戻って来ました。この日は芦野公園の花見客輸送で、客車列車は1日中走っており、2台の機関車を交互に交代しながら運用していました。 1.DD352+オハフ331+オハ463 (津軽飯詰~毘沙…

第112話 1988年津軽 北国の春

現在東京は桜が満開です。 この時期になるといつも津軽の桜を思い出します。1988年のGWは東北のローカル私鉄を早回りしました。その時の津軽鉄道沿線の桜が目に焼き付いています。 “北国の春”という歌がありますが、津軽鉄道には“北国の春”というヘッドマー…

第111話 1987年新潟交通 ネガスキャン VS プリントスキャン

さて、今回は以前にも投稿した写真を再びご覧頂きたいと思います。 1987年頃の新潟交通の写真を連載してきましたが、どうもその頃のネガは変色が顕著で、このブログでも適宜プリントからのスキャン画像に差し替えていますが、ネガに劣化がない場合、ネガのス…

第110話 1987年新潟交通 越後の寸景(その7)

続いて新潟交通沿線の寸景です。 前回の中ノ口川沿いから燕の田園地帯に移ります。 新潟交通は、小中川で上越新幹線と交差します。この辺りは新潟駅から新幹線で10分程ですが、残念なことに新幹線は駅がないので通過。よって、白山前から新潟交通を利用して…