ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第1255話 1993-94年広島:元祖軽快電車の余生(その2)

この頃の3500形は完全に異端車になっていましたが、まだ捨てるには勿体ないので、平日の朝に宮島線内の限定運用に使用されていた様です。しかし、サラリーマンの私にとって、平日の朝では撮影が極めて困難でした。

 

1.3501編成 (荒手車庫:1994年7月)

よって、普段の3500形は荒手車庫で昼寝している写真しか撮れませんでした。たいていは、車庫の裏側の廃車安置場に紛れて留置されており、なかなか撮り辛い場所です。

 

2.3501編成 (荒手車庫:1994年2月)

たまには、撮り易い場所に出ていることもありました。しかし、この場所は使用されない車両の留置線です。3500形もそろそろお払い箱なのか?

 

3.3501編成、77編成、1094+1093 (荒手車庫:1994年2月)

なにげなく撮った写真ですが、元ドルトムントの77号や高床車の1090形も写ってます。1980年代の在りし日を思い出す光景です。

 

4.3501編成 (阿品東~地御前:1993年12月)

さて、3500形の走行写真ですが、ほとんど撮っていません。しかし、スキャンデータを確認していたら、2枚出てきました。まずは、西陽を浴びる眩しい写真の3500形です。これは宮島競艇の開催日に西広島競艇場前に1往復運行されるギャンブラー専用の帰宅列車です。

 

5.3501編成 (阿品東~地御前:1994年4月)

続いて、この写真もギャンブラー専用の帰宅列車です。3500形は日本船舶振興会の補助で導入された車両でした。それが理由なのか、宮島競艇のギャンブラー輸送専属になってしまいましたが、これが余生を送る3500形にとって、ちょうど良いお仕事?の様でした。

 

6.3501編成 (荒手車庫:1994年2月)

その後も、3500形は撮り辛い車両でした。しかし、動向が気になり、広島へ行く度に荒手車庫へよく出向きました。稼働率は極めて低い車両でしたが、宮島線での余生は延々と続きました。

しかし、故障による入退院を繰り返し、2012年の故障を最後に運用離脱したとか・・・。それから12年が経ち、現在も江波車庫で眠り続けているそうです。すでに製造から44年となり、厄介モノも仏様になってしまったのか?。ちょっと心配なのが、静態保存にドライな広電さんは、今後3500形をどうされるのでしょうか。そろそろ、ちゃんとした安住の地で労をねぎらって頂けないものか・・・。