ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第6話:1987年新潟交通 当時の車両(その3)

車両編の3回目は、日車標準車体のモハです。

日車はローカル私鉄向けに17m車の標準車体を商品化し、昭和30年代に各地に売り込みましたが、新潟交通ではこの標準車体を採用し、雑多な老朽車両を改造名義で7両、新車名義で1両更新し、新たなモハに生まれ変わりました。よって、日車標準車体の”見た目新車”が、一挙に8両も登場したわけですが、これが新潟交通の代名詞的車両となり、1999年の全線廃止まで活躍することとなります。

1.モハ11(燕:1987年11月)

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写真は、”見た目新車”のトップナンバーだったモハ11です。しかし一番最初に登場したのはモハ19でした。これは改造名義で更新前の車号を引き継いだため、更新順序と車号が一致しなかったことが理由です。ちなみに、車両形式も一部旧車の車籍を引き継いだので、同じ様な格好をしていますが、1形式に括れず、その内訳は、モハ11形(モハ11,12,14)、モハ18形(モハ18)、モハ19形(モハ19)、モハ20形(モハ21)、モハ24形(モハ24,25)の5形式となっています。

2.モハ14(燕:1987年11月)

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3.モハ12(東関屋:1987年9月)

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モハ16を除くモハは、日車標準車体で画一化されてしまい、趣味的にはつまらないですが、製造時期により前照灯の形状が2種類に分類されます。上のモハ14とモハ12の写真を見比べて頂くと分かりますが、前半改造のモハ11,14,18,19は前照灯が屋根上に少し飛び出した形状、後半改造のモハ12,21,24,25は前照灯が押し込まれた形状です。

4.モハ24(六分:1988年10月)

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当時モハ24は、日車標準車体のモハのなかで、唯一車体広告がないオリジナル塗装でした。大変スッキリしていて絶好の撮影向き車両でした。ところで、なぜかこの車両だけ前面の社章標記がありませんでした。

5.モハ25(白山前:1987年9月)

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モハ25は日車標準車体のラストナンバーです。モハ24とほぼ同時期の導入で、形式もモハ24と同じモハ24形ですが、モハ24が改造名義なのに対し、モハ25は新車名義でした。しかし、モハ25は完全新製ではなく手持ちの主回路機器と旧モハ15の台車を流用した実質更新車でした。

なお、これらのモハは個々の車歴を辿ると非常に複雑です。概ね下記のとおりです。

・モハ11(1966年日本車輌更新)←モハ11(1933年日本車輌製:開業時に導入)

・モハ12(1968年日本車輌更新)←モハ12(1933年日本車輌製:開業時に導入)

・モハ14(1963年日本車輌更新)←モハ14(1933年日本車輌製:開業時に導入)

・モハ18:2代目(1962年日本車輌更新)←クハ38(1956年入線)←国鉄クハ6300←宮城クハ220←宮城モハ220(1925年蒲田車輌製)

・モハ19(1960年日本車輌更新)←モハ19(1948年入線)←東武デハ1形6(1924年日本車輌製)

・モハ21(1967年日本車輌更新)←モハ13(1933年日本車輌製:開業時に導入)

・モハ24(1969年日本車輌更新)←モハ17(1947年入線)←東武デハ2形7←東武クハ1形1(1925年日本車輌製)

・モハ25(1969年日本車輌製):実際は手持ちの主回路機器とモハ15(1935年日本車輌製→1969年廃車)の台車を流用。

6.ワンマン化された日車標準車体モハ12の車内(東関屋:1987年9月)

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当時、新潟交通のモハは全車ワンマン化されていました。ワンマン化は意外と早く、1982年から開始されました。ワンマン化の改造は地元の新潟鐵工所で実施されましたが、この改造は新潟鐵工所がその後、第三セクター向けに納入したワンマン気動車のお手本となりました。