ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第5話:1987年新潟交通 当時の車両(その2)

前回は癖のある車両ばかり紹介しましたが、今回は少しまともなクハ45形です。

クハ45形は、往年の雑多なクハを1967年から1970年にかけ、小田急のデハ1400形、クハ1450形の車体に載せ替えて生まれた新たなグループです。”新たな”とはいっても、小田急の1400系自体が昭和一桁生まれなので、最初からかなり年季が入っていました。クハ45~50まで、全部で6両在籍しましたが、1991年の白山前~東関屋間廃止以降は3連がなくなり、クハは余剰となってしまいました。その結果、クハ47~50は休車状態となり、1993年の燕~月潟間廃止後は、クハ46を除く5両が廃車となりました。

1.元小田急コンビ、クハ47+モハ16の編成美?(白山前:1987年5月)

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クハ45形は元小田急の車体ですが、どことなく田舎臭さが漂っていました。その原因は恐らく非貫通化の影響だと思います。もともと貫通扉だった部分を埋めて、なぜかその部分の窓を開口部めいっぱい拡張し、何ともアンバランスな顔立ちです。この格好がよほど気に入ったのか、運転台のない連結側まで同じスタイルです。しかし凸型に出っ張った前面中央窓の上部は、行き先表示がぶら下がる場所なのでそれなりに考えられたデザインなのかも知れません。

2.クハ45形の連結側の表情(燕:1987年5月)

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ところで6両のクハ45形ですが、よく見るとどの車両も微妙に表情が異なります。クハ49はいかつい表情ですが、クハ50は少々にこやかな感じがします。雨樋配管の有無や窓ガラスの支持方法が木枠かHゴムの違いくらいですが、私は”いかつい木製窓枠の方が好みです。

3.いかつい表情のクハ49(東関屋:1987年10月)

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4.にこやかなクハ50(白根:1987年10月)

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5.ワンマン化のクハ47(燕:1987年11月)

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新潟交通のモハは全車ワンマン化されましたが、クハは45~48がワンマン化されました。写真のクハ47はその1両ですが、車内にはちゃんと料金箱や整理券発行機がついており、前頭部にはバックミラーも。その他ワンマン運転に必要な自動放送機器や保安機器も搭載されていたのですが、クハなので自力で走れないのが残念!。ちなみに貫通路がないため、連結運転時は車掌さんが乗務していました。