ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第181話 1986年立山砂防 工事現場に立ち入るべからず!!

1986年10月は、1年ぶりに北陸地方のローカル私鉄早回りを行いました。

この時もバイト先で知り合った友人と車でのツアーでした。今回はその早回りのなかで2度目の訪問となった立山砂防軌道の話題です。

(1985年9月の初回訪問時の状況は第83~85話をご覧下さい。)

2度目ということで、この時は奥地まで足を踏み込みましたが、立山砂防軌道の沿線は、改めて大変危険な場所であることを実感しました。当時は何の情報もなく、また現地も今ほど厳重な保安態勢でなかったため、何も知らず、無防備にも危険地帯に踏み込んでしまいました。しかし、現在は厳重な保安態勢のもと、砂防軌道の沿線一帯は一切の立入りが禁止されていますので、ご理解願います。

1985年の初訪問では、トロッコ列車の添乗を断られてしまい、奥地を訪問することができませんでした。ところが地図を見ると軌道の終点である水谷へは、迂回路があり、車で行けることが判りました。それ以上の情報は何もなく、北陸地方のロードマップをいろいろ調べたところ、キャンプ地である有峰湖に通じる有料の林道がそのまま水谷へ通じており、有料道路なので安心して行けるだろうと勝手に思い込んで水谷行きを挙行しました。

 

1.初冬の水谷出張所 (水谷:1986年10月)

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ところが、順調だったのは有峰湖のキャンプ場までで、その先はどこが水谷へ通じる道なのかさっぱりわかりません。現在ならカーナビに頼りたいところですが、当時の車にそんなものは付いておらず、あくまで地図と勘が頼りでした。

何度か同じ道を往復して、気づいた脇道を進むと守衛小屋の様な建物が現れました。しかし誰もおらず、ゲートのような柵もなく、とりあえずそのまま進みました。次第に山を登って行き、途中大きなダンプカーとすれ違った以降は対向車もなく、やがて道路は未舗装のダートに、更に進むと道路には岩がゴロゴロ転がっており、一般の乗用車では乗り越えて走れないので、仕方なく車を降りて岩を撤去しての走行です。しかも、道路には沢の水が川の様に流れている箇所もあり、身の危険を感じました。しかし、まもなく坂を登り切ったところで視界が一挙に開け、その眼下には巨大な砂防ダムの建設現場が現れました。

まさに土木工事の最前線で、一軒家ほどある巨大な岩があちこちに点在し、巨大な重機もおもちゃの様です。息を飲む光景でしたが、あっけに取られて写真も撮っていません。
そこから一気に坂を下り、谷底で岩だらけの河原に掛る仮設?の橋を渡り、道なりに進むと今度は狭いトンネルです。対向車が来たらすれ違いはできません。急いでトンネルを抜けると開けた空間となり、今走って来た道にレールが敷かれていたことに気づきました。そして、そこが水谷でした。

 

2.立山砂防軌道の終点 (水谷:1986年10月)

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 まだ10月ですが、水谷はうっすら雪が積もっており、もう現場の飯場も撤去されて店じまいの雰囲気でした。しかし、水谷に来たものの、もう夕方で砂防軌道の列車は走っていません。

その時、現場の人に呼び止められました。ここに何しに来たのか、どうやって来たのかなどなど問われて、速やかに退去するよう指示されました。

 

3.この日、林道の料金所でもらった案内図(砂防軌道は記載されていない)

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 ここまで来た道は、どうも一般車は通行禁止だったようです。しかし、そんな標識もなくここまで来てしまったわけで、ちゃんと林道の通行料金1800円も払ったので、少々腑に落ちませんでしたが、有峰林道の料金所でもらった案内図(添付)を良く見ると、確かに有峰湖から先の水谷方面へは工事車両以外通行禁止とかかれており、ここは平謝りでとっとと退散です。

 

4.水谷の絶景 (水谷:1986年10月)

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 この写真をご覧下さい。水谷にはわずかな時間しか滞在できませんでしたが、こんな写真を撮っていました。なかなか写真では現地のスケールをお伝えできませんが、写真の下方に線路が写っています。これが立山砂防軌道の線路です。前方の滝ははるか上空から降り注いでいました。あたりは雪が薄っすらと積もっています。もし陽が射して列車が走っていれば、すばらしい光景になったと思います。しかしここは観光地ではありません。工事現場です。

結局、水谷には20分程の滞在で、一般車通行禁止の来た道を恐る恐る戻りました。

 

5.朝の軌道 (空谷付近:1986年10月)

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 さて、2日目です。やはり頼りになるのは自分の足です。

この日は、早起きして千寿ケ原から軌道沿いを歩いて進みました。徐々に陽が射してくると、立山大自然が目の前に飛び込んできました。昨年の夏にも見た景色ですが、今回はちょうど紅葉の絶頂期だったのでその彩の迫力が全く違いました。

 

6.朝の軌道 (中小屋付近:1986年10月)

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 中小屋付近の杉林を行く軌道に朝陽が射して幻想的な光景に出くわしました。

列車の写真を撮りに来たのに、前日から風景写真ばかり撮っています。このままでは今回は列車の写真が1枚もなく終わってしまいそうなので、最後の1枚は列車の写真です。

 

7.一番列車  (桑谷~中小屋:1986年10月)

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 この写真は、朝一番の水谷行き通勤列車です。天鳥砂防ダムの近くにある山肌を削った通称、「天鳥オーバーハング」で狙い撮りしたものです。軌道脇は常願寺川で、この写真の左側は崖っぷちです。まだ朝陽が谷間に届いておらず、絶妙なコントラストとなりました。この写真を撮って以来、改めて立山砂防の魅力に取り憑かれてしまい、その後も立山通いが続きました。

ところで、この場所は立山砂防軌道の難所でした。何度も軌道が敷き直された跡が残っていました。しかし、その後は度重なる災害で軌道のルートが変わってしまい、現在この区間は廃止され、もうこの様な写真は撮れません。