この時期の立山砂防は奥地の工事現場の設営も終わって、工事が本格的に始まった頃です。奥地を目指す朝の通勤列車は、続行で次々とやって来ました。
1.人車列車 (天鳥橋:1992年6月)
2本目の立山号が牽く人車列車は、アルミサッシで囲った全天候型の人車編成です。しかし側窓は固定で車内は暑そうです。ドアを開けている車両も見られますがこれは仕方ないと思います。
2.人車列車 (天鳥砂防ダム付近:1992年6月)
平成になると作業環境の改善や安全対策がにわかに優先され、さすがに人車も、いつまでもオープンカーと言うわけにもいかず、徐々にまともになってきました。すでに最新型の人車も導入されていましたが、この日は走っていませんでした。
3.資材列車 (天鳥砂防ダム付近:1992年6月)
3本目の続行列車は、トロを4両牽引した資材列車でした。この機関車にはヘッドマークが付いていませんでした。あとで調べたところこの機関車は、管理番号2-10-190で、この年の3月に入ったばかりの新車でした。後に「安政」と命名されます。
4.資材列車 (天鳥橋:1992年6月)
通常の資材列車は、トロを3両牽引ですが、この日は積み荷が多いためか、4両連結です。ちなみに、スイッチバックの有効長の関係で、5両連結は無理!!
5.資材列車 (天鳥砂防ダム付近:1992年6月)
続く4本目の続行列車も、トロを4両牽引した資材列車でした。先程の資材列車もそうですが、積み荷のブルーシートの中身が気になります。
6.資材列車 (天鳥砂防ダム付近:1992年6月)
今度はグリーンカルデラ号です。機関車によって名称付きとそうでないものがありましたが、いずれ全ての機関車とモーターカーに名称とヘッドマークが付けられます。