ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第1344話 1998年海外編(アムステルダム):なんでもアリの街!!

今回の海外編もヨーロッパ視察ツアーの続きです。リスボンから始まった視察ツアーですが、とりあえず訪問した各都市のイントロダクションを順次お伝えしてきましたが、今回はその最後となる、「なんでもアリのアムステルダム」です。なんでもアリとは、日本から見ればオランダが、まさに、なんでもアリと言うことで、それでも一定の秩序が保たれていると言うことは、オランダはとてもモラルが高い国なのかも知れません。なんだか意味不明なスタートですが、わかる人にはわかって頂けたかと思いますので先へ進めます。

さて、視察ツアーもここまで来ると、もうどーでもいい感じでしたが、やはりここでも個人視察(要は目的なしの自由行動)となり、市内交通を乗り回すことになりました。

今回はアムステルダム視察のイントロダクションとして、1998年当時のアムステルダムの都市交通概要と中心街のトラムの様子をお伝えします。

 

1.オランダ国鉄近郊列車 (アムステルダム中央駅:1998年7月)

アムステルダムへは、アントワープから国際列車で移動しました。まだユーロも存在しない時代でしたが、さすがベネルクス3国だけあって、国際列車は国内列車そのものでした。そして、オランダ国鉄の列車はどれも個性的でした。犬の様な顔をした電車や、ちょっと前のスーパーあずさモドキなど・・・。

 

2.アムステルダム市街地マップ

ご存知の通り、アムステルダムは運河の街です。このマップにはトラムの路線が記されていますが、トラムは運河を串刺しするように走っています。

 

3.アムステルダム全体のトラム・メトロ路線図(2014年版)

この路線図は2014年版なので、郊外を走るトラムの路線系統が、1998年当時とは一部異なりますが、市街地を走るトラムはほぼ同じです。なお、現在はメトロ路線の新規開業やトラム路線の見直し、電停の見直しにより、路線図の内容がかなり変わっています。

 

4.アムステルダム市街地のトラム・メトロ路線図(1998年版)

上図は、1998年当時の路線図です。今回トラムを撮影したアムステルダム中央駅付近の撮影場所を赤枠で示します。この当時のトラム路線の特長は、市街地を循環する系統20番が運行されていることです。この20番はサイクルトラムと称し、観光客を対象に昼間の時間帯に運行されていましたが、地元民にはあまり利用価値がなかったようで、現在は存在しません。また、トラムは大半の系統がアムステルダム中央駅から郊外に向けて放射上に走っており、更に郊外へはメトロの路線が延びています。面白いのは、トラム5番の郊外区間は専用軌道となっており、その専用軌道にはメトロ51番が直通しています。このためメトロ51番の電車は、メトロ区間第三軌条用集電靴とトラム区間用のパンタグラフを備え、複電圧車でもあり、メトロ区間の車幅の関係で折り畳み式ステップも付いたフルスペック車両になっています。しかし、メトロとトラムでは車両の床面高さを統一できないので、専用軌道区間のホームはトラム(低床)用とメトロ(高床)用の2段構造になっています。このメトロ51番をスネルトラム(快速トラム)と称しており、逆LRTの発想です。まさに、「なんでもアリのアムステルダム」です。スネルトラムについては、別途お伝えします。

 

5.660他 (①:Centraal Stationn:1998年7月)

それでは、トラム撮影の話題に入ります。まずは、アムステルダム中央駅前の様子です。背後に控える宮殿の様な建物が、東京駅のモデルとなったアムステルダム中央駅です。

 

6.アムステルダム中央駅付近の撮影場所詳細

ちなみに、各写真に記した丸番号は、上図に示す撮影場所①~③のエリアで撮影したものです。黒字の追記は当時の電停の場所と名称(オランダ語)です。

 

7.813他 (①:Centraal Stationn:1998年7月)

アムステルダムの市内交通は、メトロ、トラム、バス、フェリーが市営交通として、一元化されています。これも歴史は古く、もともとは個別の民間企業でした。

 

8.829他 (①:Centraal Stationn:1998年7月)

トラムの開業は1875年、馬車軌道として民間のアムステルダム乗合馬車会社(Amsterdamsche Omnibus Maatschappij)が運行しました。1900年には市営トラム化され、電化(DC600V)と改軌(1422㎜→1435㎜)が順次進められて現在に至ります。