広電のドルトムント車両は2編成ありました。見た目が銀色の76と茶色の77でした。共に同型車でしたが、76の方が良く働いている様でした。77は調子が悪かったのか、いつも荒手車庫に居ました。
1.76B+C+A (比治山下~比治山橋:1994年5月)
76は西ドイツのビールの広告をまとったまま走らせていました。これはこの電車が輸入車であることをアピールするためのパフォーマンスと思われましたが、これは正解だったと思います。ちなみに、77は西ドイツの宝くじの広告でした。いずれも広告電車だったわけですが、これが結構似合いました。
2.76B+C+A (比治山下~比治山橋:1994年5月)
5号線を悠々と走る76です。日本の街をこんな電車が走っている光景をこの日初めて見ましたが大変愉快なミスマッチでした。
3.76B+C+A (稲荷町~銀山町:1994年5月)
広島のメインストリートを行く76です。行先が広電前となっていますが、ドルトムント車は通学ラッシュが終わると紙屋町経由で千田車庫に入庫です。短時間の運用なので勿体ないように思えました。
4.76B+C+A (稲荷町~銀山町:1994年5月)
5号線では輸送力を発揮したドルトムント車でしたが、中間車にはドアがないので、一般の運用には使い勝手が宜しくなかったように思います。よってこの頃はラッシュ時の限定運用でしたが、市内線に3000形が天下ってくると肩身が狭くなり、1998年には一線から退きました。
5.76B+C+A他 (稲荷町~銀山町:1994年5月)
その後、76はイベント用に残されましたが、77は長期留置の末、2006年に廃車解体されました。残った76も2008年には現役を引退して、保存目的なのか長期留置の末、2012年から、その独特なフォルムを活かしてオブジェとなり商業活用され現存します。
6.77A+C+B他 (荒手車庫:1994年5月)
ドルトムント車の実績は、後のハノーバー車の導入やコンビーノ導入の礎になったことに間違いはなく、その功績は軽快電車とは別に讃えてあげたいですね。