1994年3月となり、とうとう会社解散の認可が下りた野上電鉄でしたが、この頃になるとさすがにマスコミにも取り上げられた関係か、お名残乗車の野次馬が増えました。こうなる前に思う存分撮影をしていたので、正直余裕でしたが、それでも2連が走ると血が騒ぎました。結局、私も野次馬の一人でした。
1.モハ26+モハ25 (北山:1991年3月)
今回は第1268話の続きです。この日は日曜日なので朝は2連が走りませんでしたが、昼頃から野次馬対応で2連が走り始めたので、昼飯も食わずに撮影を続行しました。
2.モハ26+モハ25 (北山:1991年3月)
第1268話ではモハ31+モハ32の2連を確認しましたが、もう1本もモハ25+モハ26の2連でした。日中に2連が2本運用されることは通常ではありえませんが、それだけ野次馬が集まったと言う事です。
3.モハ26+モハ25 (北山~野上中:1991年3月)
さて、野次馬はどうであれ、せっかくの2連です。まずは北山付近の田園地帯です。曇り空も晴れて来たので気合が入ります。
4.モハ31+モハ32 (北山~野上中:1991年3月)
良き阪神時代の明かり窓コンビがやって来ました。普段の2連では、なかなかこのコンビを見ることが出来ませんが、この日はあえてこの2連を組んだのか、撮影にはこの上ない演出です。
5.モハ31+モハ32 (北山~野上中:1991年3月)
乗客も結構乗っています。これではデ10形の単行では大混雑になってしまいそうです。2連の出動は妥当な判断だと思いますが、3連は現れませんでした。
6.モハ31+モハ32 (北山~野上中:1991年3月)
この電車を真横から撮ると、お馴染みの広告が・・・。廃止を目前に、この電車の画像があちこちに登場しましたが、この電車の広告も全国的に有名になった様ですね。