ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第493話 1990年片上:山陽路ローカル私鉄の落日(その2)

貨物輸送がなくなってしまった片上鉄道でしたが、機関車牽引の客車列車は残っていました。もう客車列車を残す理由もないようですが、車両のやり繰りがつかなかったのでしょうか。

 

1.DD13-552+ホハフ3001+ホハフ3002 (片上:1990年12月)

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 撮影初日の最後は、客車列車を見るため片上に出向きました。ちょうど山へ向かうブルートレインがDD13に牽引されて出庫してきました。時刻は17時頃ですが、12月の日は短く、もう日没間近で露出がかなり厳しくなってきましたが、この後ダメもとで走行撮影にチャレンジです。

 

2.DD13-552+ホハフ3001+ホハフ3002 (清水:1990年12月)

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 ブルートレインを狙い撃ったのは清水駅でした。もう日没後なので、さすがに走行撮影は諦めて、停車中の列車を息を止めて撮影です。1/60秒くらいなら何とかなります。この日はこれが最後の撮影でした。

ところで、片上鉄道の客車列車は1日1往復の運行でした。1989年11月のダイヤ改正前は夕方に山に向かう客車列車が柵原行きの最終でしたが、この時点では柵原のひとつ手前の吉ヶ原止まりになっていました。柵原行きの最終はこの1本前の列車に乗らなければなりませんが、この客車列車で柵原に行く人はいなかったのでしょう。ちなみに、この客車列車の後に、吉ヶ原行きの気動車列車が2本ありました。客車列車は吉ヶ原で駐泊し、翌朝は吉ヶ原から2番目の片上行きとなります。途中、和気で30分近く停車し、コンテナと回送気動車を連結しますが、すでにコンテナ輸送はなくなっていたので、回送気動車のみ連結して片上に戻ります。翌日はこのブルートレインの戻りを撮らねばなりません。この日は和気のビジネス旅館に投宿し、翌日は早朝からこの続きです。

 

3.DD13-552+ホハフ3002+ホハフ3001 (清水~中山:1990年12月)

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そして翌日です。二日目の朝は早起きして列車で中山へ出向きました。

この日は霜が降りるほど冷え込みました。5年前もここでブルートレインを撮影しましたが、その時も寒かったです。 しかし5年前と違い、やって来た列車は、機関車の牽引がもったいない程、短編成になっていました。

 

4.DD13-552+ホハフ3002+ホハフ3001 (清水~中山:1990年12月)

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それでも、朝っぱらから、この列車は感動的でした。こんな浮世離れした客車列車の撮影ができるのは、もう片上鉄道くらいでした。しかし、貨物がない混合列車は、もう終わりのようでした。

 

5.DD13-552+ホハフ3002・・ (清水~中山:1990年12月)

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 機関車は貨物輸送がなくなると、余剰となり廃車が発生しました。

最盛期には5両いた機関車も、最終増備車だったDD13-556が1978年に小坂鉄道に転じた以降は4両体制が続きましたが、1988年にDD13-553とDD13-555が廃車となり、この時点で残ったのはDD13-551とDD13-552の2両だけでした。この客車列車を牽引するためだけに残ったようなものです。

 

6.キハ312+ホハフ3001+ホハフ3002+DD13-552 (中山~清水:1990年12月)

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  ブルートレインには、お馴染みの回送気動車が1両ぶら下がっていました。

客車列車の後追い写真はいつも哀愁が漂っています。そして、これが片上ブルートレインの見納めとなりました。