ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

2022-01-01から1年間の記事一覧

第888話 1993年野上:稔りの秋、そしてあと半年(その3)

この日は、ラッシュ後の運用にモハ25が入りました。昼過ぎまでは2列車運用なので、2列車ともデ10形となる可能性が高く、もし2列車ともデ10形だったら帰ろうかと思っていましたが、とりあえず1本はモハ25だったので、これを追い掛けることにしました。 1.モ…

第887話 1993年野上:稔りの秋、そしてあと半年(その2)

野上谷を流れる貴志川は、かなり蛇行しているので、対岸に渡らなくても対岸から撮影した様な写真が撮れました。 1.モハ26+モハ24 (動木~紀伊野上:1993年9月) ちなみに、これらの写真は貴志川と一緒に蛇行する線路脇から望遠で撮ったものです。ズームレ…

第886話 1993年野上:稔りの秋、そしてあと半年

この頃、毎月の様に野上電鉄を訪問していました。この日も出張先の広島から金曜日の晩に海南に移動し、土曜日の朝から撮影です。毎度のことながら、常宿のビジネス旅館に泊まり、早朝の出庫バスで動木へ向かいました。 1.モハ27+モハ32 (動木~紀伊野上:…

第885話 1994年広島:広電の京都市電(その3)

この頃、広電には1900形が15両も在籍していたので、市内線のどこでも撮影できました。それが災いして、意外と写真を撮っていません。 1.1908 (皆実町六丁目~御幸橋:1994年2月) 1900形は京都市電独特のどっしりとした、いかにも路面電車といった風格が…

第884話 1993年広島:広電の京都市電(その2)

1993年当時、広電の京都市電は15両全車が健在でした。 この頃、広電以外で活躍していた元京都市電は、阪堺電軌道モ251形3両(元京都市電1800形)、伊予鉄モハ2000形5両(元京都市電2000形)だけでした。 1.1909 (原爆ドーム前~本川町:1993年8月) 阪堺…

第883話 1993年広島:広電の京都市電

広電で活躍した各地の路面電の1993年~94年頃の様子を時々お伝えしていますが、今回は元京都市電です。 広電は昭和40年代から、大阪市電や神戸市電から多くの路面電車を譲受し、老朽化した市内線車両の置き換えを進めていましたが、その最終段階と言えるのが…

第882話 1993年茨城交通:使い勝手の良い車両(その2)

この頃、元国鉄キハ20形を再利用する私鉄路線は茨城交通以外にも、水島臨海鉄道と島原鉄道がありました。これらの鉄道会社にとって、元国鉄キハ20形は、老朽車の置き換えとして、まとまった両数が確保できた、ちょうど手頃な車両だった様です。しかし、車両…

第881話 1993年茨城交通:使い勝手の良い車両

1993年は鹿島鉄道の湘南型道産子気動車が一挙に廃車となり常磐線沿線の非電化私鉄も、いよいよつまらなくなってきました。しかし、湘南型ではありませんが、茨城交通にはまだ、貫通型の道産子気動車がいました。いずれも、国鉄キハ22形モドキの興味が湧かな…

第880話 1994年京福(越前):永平寺にモハ251形を追う(その5)

今回もしつこくモハ251形の話題です。3日目の永平寺線は、モハ252が充当されていました。天気も良く、せっかくなので、この日も午後から永平寺線の撮影です。ちなみに午前中は、越前本線のラッシュ時に運行される急行や2連の列車を撮影していました。 1.…

第879話 1994年京福(越前):永平寺にモハ251形を追う(その4)

この日は、モハ251を一日追い掛けましたが、とりあえず期待通りの撮影が出来ました。モハ251はとても魅力的な車両ですが、永平寺線の沿線風景も負けないくらい魅力的でした。 1.モハ251 (市野々~永平寺:1994年5月) 陽が傾いて来ると、西陽が列車の正面…

第878話 1994年京福(越前):永平寺にモハ251形を追う(その3)

夕方になると、陽の向きが山側を照らし、モハ251の非貫通面が順光となります。鬱蒼と茂る杉林も西陽で幹まで照らされます。 1.モハ251 (諏訪間~京善:1994年5月) 永平寺線の列車は、1時間ヘッドの運転なので、上下列車は30分間隔で走って来ます。1閉塞…

第877話 1994年京福(越前):永平寺にモハ251形を追う(その2)

以前から気になっていたモハ251形ですが、なかなか撮影のチャンスに恵まれず、今回ようやくそのチャンスが巡ってきました。 1.モハ251 (諏訪間~東古市:1994年5月) 今までは、何度もモハ251形に空振りを食らっていましたが、その分、ロケハンはしっかり…

第876話 1994年京福(越前):永平寺にモハ251形を追う

1994年当時の京福越前本線は、ほとんどの列車が元阪神か元南海電車を流用した車両でした。これが原因で、なかなか撮影に出向く気が起こらなかったわけですが、モハ251形という日車標準タイプモドキの自社発注車が僅かに残っており、この車両の撮影に本腰を入…

第875話 1992年神奈川臨海(本牧):旅客化は夢の彼方へ(その2)

今回は神奈川臨海鉄道のもう一つの路線である本牧線です。こちらは塩浜線の様に工場地帯の製品や資材輸送ではなく、本牧ふ頭の物流がメインのようで、沿線の北側は眺めの良い高級住宅街です。 1.DD5512+ワム・・・他 (横浜本牧:1992年7月) この日はDD55…

第874話 1991年神奈川臨海(塩浜):旅客化は夢の彼方へ

バブルな時代には色々と前向きな話題が豊富でした。鉄道においても新規路線の計画など、おおいに盛り上がりましたが、今となっては、あれは一体なんだったのか?と、思うようなことが結構ありました。例えば、神奈川臨海鉄道の旅客化などという話も・・・。 …

第873話 1994年一畑:大寺付近の日常風景(その3)

この日は、車両の置き換えでデハ20形+クハ100形が真っ先に淘汰されるのではないかと思い、真剣にデハ20形+クハ100形を追い掛けました。 1.デハ23+クハ101 (大寺~美談:1994年4月) デハ20形+クハ100形の魅力は、ズバリ手動ドアでした。この何とも無防備…

第872話 1994年一畑:大寺付近の日常風景(その2)

ところで、なぜそんなに一畑電鉄にこだわっていたのか。それは車両の置き換えが迫っていたからです。この半年後には関東から、あの中古電車がやって来ます。おそらく、数年後には既存車が全滅してしまう恐れがありました。 1.クハ101+デハ23 (大寺:1994…

第871話 1994年一畑:大寺付近の日常風景

1994年は仕事の関係で広島に滞在していたので、一畑電鉄の訪問回数も増えました。しかし、お目当てである赤電のデハニ50形は月~土曜日の朝しか走らないため、広島から土曜日の朝移動では撮影は間に合いません。 1.デハ72+クハ172 (美談~大寺:1994年4月…

第870話 1993年富山地鉄:冠雪の立山連峰を求めて(その5)

山の天気は変わりやすいものです。調子よく晴れたと思ったら早々にまた雲が掛かり始めました。もう夕方なので、立山はあきらめるしかありませんでした。 1.モハ10020形2連 (釜ヶ淵~沢中山:1993年5月) よって、ここからは日没まで沿線風景主体の夕景撮…

第869話 1993年富山地鉄:冠雪の立山連峰を求めて(その4)

この日は、夕方になりようやく山の方も晴れて来ました。そして待望の立山連峰も姿を現しました。しぶとく粘った甲斐がありました。 1.モハ14760形2連 (下段~釜ヶ淵:1993年5月) ちょうど立山にかかる雲が切れた時、タイミング良く旧塗装の14760形アルペ…

第868話 1993年富山地鉄:冠雪の立山連峰を求めて(その3)

せっかくのGWですが、特急も臨時列車も4連ではなく2連ばかりです。やはり天気のせいか、この年のGWは今一つ盛り上がりに欠けているようでした。 1.モハ14760形4連 (下段~釜ヶ淵:1993年5月) 夕方になり、ようやく4連の登場です。この4連は特急ではなく…

第867話 1993年富山地鉄:冠雪の立山連峰を求めて(その2)

この日は晴れたので、立山砂防に行こうか悩みましたが、晴れているのは平野部だけの様で、山の方は厚い雲に覆われており、期待の立山連峰も見えません。この様子では、この日も立山は雪なのかも知れません。手堅く富山地鉄の撮影に踏み切ったのは正解の様で…

第866話 1993年富山地鉄:冠雪の立山連峰を求めて

今回は1993年のGWの富山地鉄の様子ですが、第757話~第759話の続き(2日目)になります。初日は天気が悪く、立山砂防軌道共々、共倒れでしたが、この日は朝から晴れて、懲りもせず冠雪の立山連峰を求めてリベンジです。 1.クハ170形+モハ14720形 (下段~…

第865話 1994年JR小野田:西の茶色い旧国(その3)

本山支線の午後の運用は、午後4時半頃から5往復走りました。夏場であれば午後6時台まで撮影は可能なので、3往復撮れました。現在の本山支線は1日3往復まで列車本数が減ってしまい、夕方は午後6時台に1往復しか走らないので、冬場は撮影が厳しいですが、もう…

号外2022.09.28:国葬の日、そうだ蒲田に行こう!!

昨日は安倍元首相の国葬の日でした。 ところで私は、今頃遅い夏休みを頂いており、昨日は九段下の国土地理院へ地形図の閲覧に行く予定でしたが、偶然、国土地理院は国葬が開催される武道館のすぐ近くです。弔問や警護で人が多そうだったので、昨日は予定を変…

第864話 1994年JR小野田:西の茶色い旧国(その2)

この日は土曜日だったので、昼すぎに運行される列車を撮影して、その後は夕方の運行まで暇つぶしに沿線をロケハンしました。しかし、全線僅か2.3kmの路線なのであっという間に往復してしまい、結局夕方まで雀田駅で暇つぶしでした。 1.クモハ42001 (長門…

第863話 1994年JR小野田:西の茶色い旧国

1994年7月、滞在先の広島から、たまには琴電や一畑電鉄以外にも行って見ようと思い、山陽路を鈍行で小野田線に向かいました。お目当ては本山支線のクモハ42形です。このころ、鶴見線にはまだクモハ12形が運用されていましたが、小野田線のクモハ42形も張り合…

第862話 1994年宇品四者協定線:もうひとつの宇品線回想(その6)

今回は、いよいよクライマックスの旧宇品駅構内です。1994年当時は、見覚えのある建物など、辛うじて昔の面影が残っていました。 1.地図7.引用:国土地理院地形図1/25000「広島」昭和56年発行 地図を見ると、宇品駅の海側に側線が存在していたことがわか…

第861話 1994年宇品四者協定線:もうひとつの宇品線回想(その5)

ここから先は、東洋工業(マツダ)の工場に囲まれた一帯を進みます。徐々に臨海工業地帯の雰囲気になってきました。 地図6.引用:国土地理院地形図1/25000「広島」昭和56年発行 地図を見ると、宇品四者協定線の両側はマツダの工場ですが、元々右側の一帯は…

第860話 1994年宇品四者協定線:もうひとつの宇品線回想(その4)

宇品四者協定線の廃線探訪は、下大河駅跡を過ぎると後半となります。しかし、下大河付近の線路跡は完全に道路化されており、宇品四者協定線の名残りは何もありません。よって、下大河付近は写真も撮っていませんでした。線路跡の道路は、次の丹那駅跡まで続…