ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

2020-01-01から1年間の記事一覧

第471話 1993年高松琴平:旧型車依存症候群(その3)

この日は、晴れたり曇ったりの空模様になりました。 結局この後も、ラッシュが終わるまで、西前田~水田間で撮影を続けました。この場所は終日撮影が可能なので、毎回何も考えずに出向いていましたが、徐々に周りは宅地化が進んでおり、線路の向こう側では高…

第470話 1993年高松琴平:旧型車依存症候群(その2)

1ヵ月程前の1993年11月にもラッシュ時の長尾線で撮影をしましたが、今回は運用が少し変わった様です。 それは、早朝から3連が走っていましたが、土曜日のためか3連は長続きせず、いつの間にか2連ばかりとなりました。 1.72+81 (高田~西前田:1993年12月)…

第469話 1993年高松琴平:旧型車依存症候群

1993年は仕事の関係で広島に滞在する機会が多く、休日は広島を起点にローカル線行脚を繰り返していました。特に琴電に出向く回数が増え、飽きもせず雑多な旧型電車を追い掛けて、同じ様な写真を撮っていました。 今回は、1993年12月の様子ですが、この日もス…

第468話 1991年近江:最強の車歴の呪縛(その2)

近江鉄道の電気機関車は奇跡的に原型を留めており、骨董品ばかりでしたが、車歴は大変素直でした。全ての車両がこんな調子なら問題はありませんが・・・ さて、ここから旅客車両です。 1.LE14 (彦根:1991年9月) この頃、電化されている近江鉄道に気動車…

第467話 1991年近江:最強の車歴の呪縛

鉄道車両の寿命は30年~50年くらいが一般的でしょうか。もちろん使われ方によっては10年にも満たない場合も、逆に70年、80年さらにそれ以上の場合もあります。そして、人間の場合は本人が亡くなれば、本人を名乗り、本人に成りきって生き続けることはできま…

第466話 1988年鹿島:懲りない気動車三昧(その5)

そろそろ梅雨入りの時期でしたが、この日は夕方になっても晴天が続き、思い切って霞ヶ浦の夕景を撮影することにしました。日中は霞んでいた筑波山も、夕陽に照らされてシルエットが現れました。 1.キハ600形 (玉造町~浜:1988年6月) 列車はキハ600形で…

第465話 1988年鹿島:懲りない気動車三昧(その4)

この日は、浜から借宿前まで7km程歩きました。休日だったので、貨物列車も走っておらず、日中はワンマンカーのキハ600形とキハ430形ばかりで、少々もの足りない感じでしたが、天気も良く久々に気動車三昧出来ました。 1.キハ602 (借宿前~巴川:1988年4月…

第464話 1988年鹿島:懲りない気動車三昧(その3)

鹿島鉄道の撮影は、いつも霞ヶ浦が写る場所に偏ってしまうので、この日は浜駅から鉾田方面に歩きながら撮影することにしました。 1.キハ602 (浜:1988年4月) この写真は、浜駅に停車するキハ602の様子です。いつもとは逆方向の霞ヶ浦護岸から撮影しまし…

第463話 1988年鹿島:懲りない気動車三昧(その2)

この日は天気が良く、石岡機関区訪問のあとは、本線撮影に出ました。 ちょうど1本戻って来る時間だったので、まずは、石岡駅手前の築堤です。 1.キハ712 (東田中~石岡:1988年4月) すでにワンマンカーの運行が始まっていましたが、やって来たのはツーマ…

第462話 1988年鹿島:懲りない気動車三昧

今回は新潟の長期出張を終えて、東京に戻って最初に訪問した1988年4月の鹿島鉄道の話題です。社会人になっても、気動車三昧は続きます。 1987年3月末に筑波鉄道が廃止となり、もしかしたら筑波の車両が鹿島になだれ込んで来るのではないかと心配していました…

第461話 1988年新潟交通:その頃の軌道線

さて、今回は1988年当時の、新潟交通の軌道線の様子です。 その頃の軌道線は、まだ廃止の噂もありませんでしたが、新潟側の起点である白山前がとても中途半端な場所であったことと、軌道線沿線の住民から相当迷惑がられていたことから、なんとなく先が見えて…

第460話 1988年新潟交通:盛夏の越後平野(その2)

この日はやはり日曜日なので、同じスタイルの単行電車しか走っていませんでした。半日も撮影すれば飽きてしまいます。 1.モハ14 (燕~灰方:1988年8月) この日この時点で確認できた車両は、モハ12、モハ14、モハ25です。最初から期待はしていませんでし…

第459話 1988年新潟交通:盛夏の越後平野

1988年4月まで、私は仕事の関係で新潟に居ました。その頃は毎週のように新潟交通の電車を撮影していましたが、東京に戻ってからも新潟へ行く機会が多かったので、時々休日を利用して新潟交通の電車を撮りに行きました。 今回は、1988年8月の盛夏の越後平野…

第458話 1989年JR(鶴見):工場地帯のチャバネゴキブリ(その4)

鶴見線は撮影場所がほとんどありませんが、相対式ホームの国道駅では比較的撮影がしやすかったです。 1.クモハ12052 (国道~鶴見小野:1989年4月) 国道駅の鶴見小野寄りには、鶴見川を渡る橋梁があり、かつては鶴見線の旧国が撮影できる場所でしたが、こ…

第457話 1989年JR(鶴見):工場地帯のチャバネゴキブリ(その3)

この頃の土日の鶴見線は、クモハ12形の単行が日中、鶴見から大川と海芝浦に交互に往復する運用でした。 茶色いクモハ12形は、まさにチャバネゴキブリのごとく、ごちゃごちゃした工場地帯を走り回っていました。 1.クモハ12052 (安善:1989年4月) よって…

第456話 1989年JR(鶴見):工場地帯のチャバネゴキブリ(その2)

鶴見線の撮影ポイント探しは大変でした。なにしろ工場の間を通っているので、線路に近づける場所が少なく、運河が行くてを阻みます。 1.クモハ12052 (安善~浅野:1989年4月) さんざん歩いて苦労の末の写真がこれです。ここは浅野~安善間のにある運河に…

第455話 1989年JR(鶴見):工場地帯のチャバネゴキブリ

毎度のフレーズですが、「私は国鉄の車両にはほとんど興味がありません」でした。しかし、こんな旧国の写真を撮っていました。 私より若い年代の方は、こんな茶色い電車がかつて山手線や京浜東北線など首都圏を走っていたことをご存知ないかと思いますが、ち…

第454話 1988年茨城交通:夏の陣を垣間見る

1988年夏、この年も茨交の夏の陣を見に行きました。 この日は、午前中に阿字ヶ浦で少々海水浴を楽しみ、午後から帰り客を運ぶ列車を撮影しました。 1.キハ2000形とキハ22形の4連 (金上~中根:1988年8月) さすがにかき入れ時だけあって、帰りも4連が運行…

第453話 1988年関東(常総):キハ35乱入!!(その3)

この日は天気が良かったので、旧塗装車の活躍を撮影するため、本線に出ました。 取手~水海道間はキハ300形、350形が多く走っているようなので、撮影は水海道よりも北側の三妻の周辺で行うことにしました。 1.キハ314+キハ313 (水海道:1988年10月) キハ…

第452話 1988年関東(常総):キハ35乱入!!(その2)

1988年は私にとっては社会人2年目でしたが、いわゆる下っ端だったので結構忙しく、気が付けば休日も休めない状況でした。そんなわけで日にちだけが過ぎて行きましたが、その後の常総線の旧型気動車が非常に気になり、10月のある日、休日なのに休みを宣言して…

第451話 1988年関東(常総):キハ35乱入!!

1988年の正月に水海道機関区を訪問した際、大量の元国鉄キハ30形、35形を目撃し、いやな予感がしました。それから半年程経った夏のある日に、その後が気になり水海道に向かいました。 1.旧型気動車廃車群 (小絹~水海道:1988年6月) その時、小絹~水海…

第450話 1992年立山砂防:予防保全的処置(その5)

この日は梅雨晴れとは言うものの、晴れていたのは朝のうちだけでした。 小雨も降り始めたので、そろそろ撤収です。 1.保線列車 (中小屋スイッチバック:1992年6月) 続行列車のラストは、保線列車でした。保線作業は列車運行の合間を縫って作業するため、…

第449話 1992年立山砂防:予防保全的処置(その4)

6月頃の立山砂防は、最も活発な時期だと思います。 その年の積雪にもよりますが、水谷まで開通するのはGW前後です。冬季は橋桁なども撤去して冬越しするほどです。この年は、ちょうど輸送が本格化した頃の様でした。 1.回送列車 (天鳥砂防ダム付近:199…

第448話 1992年立山砂防:予防保全的処置(その3)

朝の続行列車は、4本通過して行きました。 あっという間の出来事でした。この日はこれを見るためにわざわざ立山まで出向いたわけですが、見るものを見たので、さあどうするか。 1.資材列車 (天鳥橋:1992年6月) 最後の続行列車を見送ると、ふたたび静寂…

第447話 1992年立山砂防:予防保全的処置(その2)

この時期の立山砂防は奥地の工事現場の設営も終わって、工事が本格的に始まった頃です。奥地を目指す朝の通勤列車は、続行で次々とやって来ました。 1.人車列車 (天鳥橋:1992年6月) 2本目の立山号が牽く人車列車は、アルミサッシで囲った全天候型の人車…

第446話 1992年立山砂防:予防保全的処置

1992年はどういうわけか、立山砂防に3度も出向きました。今考えると、何かに取り憑かれたとしか思えませんが・・・。 その初回は6月の梅雨の合間でした。天気予報を見ていて、富山は梅雨晴れであることを知り、金曜日だったので、就業後にカメラだけ持って…

第445話 1991年名鉄(揖斐):朝の旧型3連を見に行く

1991年9月は、連休を利用して関西方面のローカル私鉄早回りを行いました。 東京から夜行の大垣行き鈍行に乗り、朝一で名鉄揖斐線に寄り道しました。 名鉄揖斐線の朝と言えば、かつてはモ510形、モ520形の3連が有名でしたが、モ520形が引退し、モ510形も主力…

第444話 1990年富山地鉄:高度経済成長期のカルダン車

富山地鉄は地方私鉄では珍しく、早い時期から自社発注のカルダン車が導入されていました。ちょうど高度経済成長期にあたり、立山黒部アルペンルートの開通など、観光需要も追い風になった、羽振りの良い時代だったのでしょう。 ところで、カルダン車とは言え…

第443話 1990年富山地鉄:運輸省規格型のパラダイス(その2)

富山地鉄ではカルダン車に交じって、運輸省規格型の吊掛車が富山平野を駆け回っていました。以前から走行撮影の機会を狙っていましたが、ようやくその機会が来ました。しかし、雨です。 1.クハ13+モハ14713 (越中三郷~越中舟橋:1990年5月) この日は、1…

号外2020.09.21:敬老の日に想うこと

つい先日地下鉄の車内で、隣に座っていたお二人のご老人の会話が衝撃的でした。 ちょうど「敬老の日」でもあり、これからの高齢化社会に向けて、ぜひ皆さんにも考えていただきたいと思い、今回は通常のブログから脱線しますが、「号外」と言うことでご了承下…