2020-01-01から1年間の記事一覧
いつしか吊掛車を追い掛けるようになりました。しかし、1990年代になると吊掛車も急激に減少します。その吊掛車を求めて琴電や一畑、名鉄揖斐・谷汲線によく出向きましたが、意外にも富山地鉄には吊掛車が結構残っており、特に戦後の車両不足を補うため登場…
営農大学前~森田牧場前間は、絵になる景色が濃縮されており、この日の午後の撮影は、この区間をウロウロしながら行いました。しかし、列車本数が少ないので、暇つぶしが大変です。営農大学前~森田牧場前間を何度往復したことか。 1.キハ102 (営農大学前…
今回は、南部縦貫鉄道の午後の列車撮影です。午後は3往復運行されましたが、最後の3往復目は季節によっては日没で撮影で来ません。GW頃は微妙な時期です。 1.キハ102 (七戸~森田牧場前:1989年5月) 午後も、七戸から森田牧場方面に歩きながらの撮影で…
南部縦貫鉄道の運行は1日5往復の1列車運用でした。午前中は2往復の列車を撮影し、午後の運用まで時間が空くので、一旦、七戸に戻りました。 1.キハ102 (七戸:1989年5月) 七戸では、キハ102が午後の運用まで昼寝です。この日は終日キハ102が走ります…
南部縦貫鉄道は沿線もメルヘンチックでした。 列車を待つ間、することもなくブラブラ歩いて、森田牧場の馬の写真なんかを撮っていました。 1.森田牧場の馬 (森田牧場:1989年5月) 森田牧場と言えば、サラブレッドの牧場として有名です。 なんとか、レー…
南部縦貫鉄道の魅力は、小さなレースバスが走る牧歌的な光景。そして幻想的でメルヘンチックな世界観でした。 しかしながら、現実はそんな甘いものではありません。国策に翻弄され開業時から経営はさんざんな状況で、お伽の国のレールバスは常に火の車だった…
今回は東金商店街に存在した、伊勢孫本店さん以外の商店軌道です。 他の2軒はスタンダードの商店軌道でした。いずれも通りに面した商店から、お店の裏側にある倉庫に商品などを運ぶための軌道で、手押しトロッコが1両ありました。 1.内野屋砂糖店 手押し軌…
伊勢孫本店さんの軌道に機関車が存在した理由は、この勾配です。 軌道はお店の裏からさらに裏山へ延びており、そこに急勾配が存在しました。この勾配の上には麹製造に使用される麹室と言われる防空壕のような貯蔵庫があり、そこに麹の材料を運び上げるのに、…
ご年配のローカル線ファンなら、東金と言えば「九十九里鉄道」ではないでしょうか。 私はその実物を見るこが出来ず、東金も無縁の地でしたが、1984年に東金で衝撃的な出会いがありました。 その頃、レールマガジン誌に連載されていた「THEトロッコ」は、…
1987年の夏、大阪へ出張した際の休日に嵐電の旧型車を見に行きました。 異常なほど暑い日だったので、沿線撮影はほどほどに手を抜いて、お目当ての旧型車を駅のホームで待ち構えましたが、なかなか現れません。 1.モボ112 (有栖川~帷子ノ辻:1987年8月)…
この日の最後は、真鍋に寄りました。 真鍋ではいつものように、給油入庫の列車交換のための連結作業が行われていました。 1.キハ504+キハ503 (真鍋:1987年3月) キハ500形2連が運転停車し、これから給油を完了した回送車を連結します。特徴ある筑波鉄道…
続いて、撮影場所を常陸小田に移動しました。 ところが、常陸小田には大勢の同好者がたむろしており、お互いを写さない様に暗黙の撮影ポイントまで出来上がっていたので、自由に撮影ができませんでした。まあ、お互いの迷惑にならないためにも仕方がありませ…
真壁付近で撮影後、岩瀬方面に歩きました。この辺りはほんの2週間ほど前にも訪れた場所ですが、若干、春めいて来ました。これからが撮影には最適のシーズンですが、私にとっては、もうこの日が最後です。 1.キハ504 (東飯田~雨引:1987年3月) ここは東…
1987年3月は、私にとっていよいよ学生最後の春休みとなりましたが、筑波鉄道の最後でもありました。この年は年明けから暇な学生時代の最後の悪あがきで、常磐線沿線の非電化私鉄を彷徨していましたが、その最後の締めは筑波鉄道でした。 筑波鉄道は3月31日が…
10日間ほど道内を放浪しました。 そして、もういいと言うほど、14形座席車に乗りました。この前日も宿代をけちって、14形の急行利尻号で車中泊でした。利尻号にはB寝台車が連結されていましたが、ここで寝台車に乗っては貧乏旅行の意味がありません。 この…
冬の北海道はやはり寒く、暖房の効いた列車から降りて撮影するのが面倒になってしまい、あてもなく、ひたすら列車に乗り続けました。 そしてこの日は、前日の夜に札幌から急行大雪号に乗り、網走方面を目指しましたが、せっかくなので流氷を見るため夜中に遠…
1986年は国鉄の分割民営化に向けて、なにかと微妙な時期でした。 特に北海道は赤字路線が多く、民営化されたら大半の路線が廃止になることが目に見えていました。これから乗る標津線もそうでしたが、これらの路線がなくなると、もう貧乏旅行も出来なくなって…
毎日異常な暑さが続いていますが、少しは気休めになるか、涼しい話題を探してみました。 1985年~1986年の国鉄時代の夏の北海道の様子を、第278話~第283話で報告しましたが、今回は1986年の冬の北海道の話題です。 いったい何のために、こんな寒い時期に北…
この日は、ラッシュが終わったあともデ12とデ13が引き続き運用されました。 同じような車両を同じ場所で撮り続けてもしょうがないので、撮影場所を野上中~北山間に移動しました。 1.デ13 (野上中~北山:1991年12月) デ13がやって来ました。年末なので…
野上電鉄の撮影2日目は朝からラッシュ時の撮影を行いました。 朝のうちは何とか晴れましたが、年末のためか2連は登場せず、この日も終日デ10形の独壇場でした。 1.デ11 (重根~幡川:1991年12月) 朝の撮影は、順光となる重根~幡川間です。ここはのどか…
1991年の年末から1992年の年始にかけて、和歌山のローカル私鉄と琴電を早回りしました。この年末は天気が悪く、イマイチ気合の入らないまま、紀州、有田、野上と巡ってきました。 今回はその野上電鉄の話題です。 1.デ11 (登山口:1991年12月) この年、…
1990年のGWは久々に北陸地方のローカル私鉄早回りを行いましたが、富山地鉄で雨に降られてしまいました。 この頃の富山地鉄は、まだ京阪3000系が導入される前で、辛うじて吊り掛け車も残っていましたが、雨に降られてはどうしょうもありません。沿線撮影も…
1987年3月末に、お隣の筑波鉄道が廃止となりました。私はてっきり筑波の車両が鹿島に転属して、キハ600形などが淘汰されるものと思っていましたが、結局、筑波の車両は1両も鹿島にやって来ませんでした。 1.キハ601+キハ602 (浜~八木蒔:1987年6月) 筑…
1987年は私が社会人になった年です。 入社初っ端は、新入社員研修やら工場実習やら3ヵ月ほど転々とし、結局、東京の技術部門に配属となり、蒲田勤務となりました。その頃はまだ新人だったので仕事もタイトではなく、土曜日は休みだったので家に居ても仕方な…
今回も1987年9月の蒲原鉄道の話題ですが、これは前回の第417話とは違う日の様子です。前回は、村松車庫の訪問だけでしたが、今回は沿線写真を撮影しました。 1.モハ61 (五泉:1987年9月) 今回も、五泉駅でモハ61が出迎えてくれました。その左側には磐越…
話しが前後しますが、前回の第415話、第416話の越後交通長岡線訪問の当日、午前中に蒲原鉄道を訪問しました。 新潟駅前のビジネスホテルを早朝に出発し、磐越西線直通の気動車で五泉へ直行しました。この頃はすでに新潟から蒲原鉄道の村松まで高速バスがあり…
越後交通長岡線の西長岡車庫を訪問後、午後の貨物列車撮影のため、深沢付近の田園地帯に繰り出しましたが、天気が怪しくなってきました。 1.ED5101牽引の空車貨物 (深沢~富岡:1987年9月) 完全に曇ってしまいました。 午後3時過ぎ、刈入れの終わった…
越後交通長岡線の話題は、第76話~第78話で1987年の春頃の様子を報告しましたが、同年9月にも新潟出張中の休日を利用して西長岡の様子を伺いに出向きました。 この日は午前中は蒲原鉄道を訪問し、土曜日だったので午後から西長岡に出向き、貨物列車を撮影し…
銚子電鉄は常磐線沿線の私鉄と違い、他の私鉄と掛け持ちで訪問するには、やはり車がないと厳しいです。そして銚子は東京から中途半端に遠く、なかなか足が向かない場所でした。 今回も天気が悪くて撮影の調子が上がらなかった1989年3月の銚子電鉄の続きです…
1989年3月に鹿島鉄道を訪問したついでに、銚子電鉄まで足を延ばしました。 鹿島鉄道と銚子電鉄とはかなり離れている様ですが、距離的にそれほど遠くではありません。車であれば霞ヶ浦沿いを南下すれば銚子に行き着きます。しかし鉄道の場合は、乗り継ぎが必…