ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

2023-01-01から1年間の記事一覧

第1053話 1995年名鉄(揖斐):10年目の趣味の糧

私が初めて名鉄揖斐線を訪れたのは1985年でした。あれから毎年の様にモ510形を追い掛けて、気が付けば10年も経っていました。この10年はローカル線にもいろいろと変化がありましたが、名鉄揖斐線は新車こそ導入されたものの、幸い旧型車の全滅は免れて私の趣…

第1052話 1995年南海(汐見橋):こっそり吊掛車!!(その3)

南海貴志川線のモハ1201形が1995年3月に消滅し、南海唯一の吊掛車となった1521系ですが、これも風前の灯でした。貴志川線同様に高野線の22000系や21000系などが新車の投入でローカル線に玉突き転出となり、余剰となった1521系が羽倉崎の車庫に留置されていま…

第1051話 1995年南海(汐見橋):こっそり吊掛車!!(その2)

南海電鉄1521系は吊掛電車ですが、いわゆるアコモ改造車の部類なので正直興味がありませんでした。少なくとも貴志川線のモハ1201形とは別物でした。しかし、1521系を見るために出向いた汐見橋線は別な意味で印象的でした。とても大阪市内のド真ん中に存在す…

第1050話 1995年南海(汐見橋):こっそり吊掛車!!

1995年3月末に南海の離島だった貴志川線のモハ1201形が引退してしまいました。これで南海電鉄もようやく新性能化がなされたかと思いました。 ・・・が、しかし、大阪市内に、こっそり吊掛車が残っていました。 1.クハ3901+モハ1521 (木津川:1995年7月) …

第1049話 1994年一畑:普段のデハニを見に行く(その5)

ラッシュ後の車庫を一通り撮影しましたが、興味ある車両のほとんどが車庫にいました。逆に言えば、本線に出ている車両はつまらな車両ばかりと言うことです。 1.クハ171,クハ181,デハニ52他 (平田市:1994年5月) 一畑電鉄の車両は、この時点ではいつも…

第1048話 1994年一畑:普段のデハニを見に行く(その4)

土曜日の朝ラッシュの撮影を終えて、平田市の車庫に行きました。特別に見たい車両があったわけでもなく、天気も完全に曇ってしまったので、時間調整のつもりでしたが、じっくりと車両を見ることができました。 1.クハ172、クハ103 (平田市:1994年5月) …

第1047話 1994年一畑:普段のデハニを見に行く(その3)

この日は土曜日だったので、朝のデハニの運用を撮影して、あっと言う間にノルマ達成です。しかし、天気がイマイチでどうも達成感がなく、その後も撮影を続けましたが全く気合が入りません。 1.デハ83+クハ183 (布崎~平田市:1994年5月) ここは布崎から…

第1046話 1994年一畑:普段のデハニを見に行く(その2)

この日2回目のデハニ50形の撮影も、大寺付近で行うことにしました。少しは違った構図で撮ろうと、あちこち歩きまわりましたが、結局、元の場所に戻ってしまいました。 1.デハニ52+クハ101+デハ23 (美談~大寺:1994年5月) 田圃の状況は田植えも終わって…

第1045話 1994年一畑:普段のデハニを見に行く

1994年は仕事の都合で広島に滞在していたので、一畑電鉄の撮影機会が増えました。しかし、一畑のデハニを撮影するには、平日か土曜日の朝しかチャンスがなく、可能性としては、金曜日に出雲市行きの最終バスに乗って、金曜日中に出雲市に移動するしかありま…

号外2023.08.31:わが青春のボロ電は今・・・(その5)

いよいよ広島滞在最終日の3日目となりました。最後は宮島線の撮影です。この日の予定は宮島線の撮影と、久々に宮島に渡って修繕された厳島神社の大鳥居を拝んで、夕方の新幹線で東京に戻るつもりでしたが、もうそこまで台風が来ており、昼には撤収しないと帰…

号外2023.08.29:わが青春のボロ電は今・・・(その4)

今回も広島滞在二日目の続きです。 実はこの日は、二日酔いにもかかわらず早起きして、瀬野のスカイレールを見に行きました。私にとって瀬野は、やはりEF59なのですが、もうすぐスカイレールがなくなると聞いたので乗り納めです。しかし、初めてではなく二回…

号外2023.08.27:わが青春のボロ電は今・・・(その3)

炎天下のなか、結局、広島駅から歩いて天満町まで来ました。ここは私が通っていた高校の近くで、良しも悪しも思い出の地です。電車通りは裏道なので自動車が少なく、昔から撮影には好都合です。軌道も石畳みが敷かれて下町の情緒満点です。しかし、走って来…

号外2023.08.26:わが青春のボロ電は今・・・(その2)

今回の広島遠征は2泊3日でしたが、同窓会やら飲み会の都合で各日4時間程度の撮影時間しかありませんでした。よって、短時間で効率よく撮影するため、暑かったのですが極力歩きながらの撮影となりました。 1.5103編成 (銀山町~稲荷町:2023年8月) 初日は…

号外2023.08.24:わが青春のボロ電は今・・・

号外です。 今年のお盆んは、中学校時代の還暦同窓会で久々の広島へ行ってきました。・・・とは、言うものの、やはり理性が抑えきれずスマホを片手に市内を彷徨。そして、わが青春のボロ電は今・・・。 2泊3日の遠征でしたが、台風が気になってどうしようも…

第1044話 1993年鹿島:幻滅の白い気動車(その3)

この日は天気に恵まれて撮影日和と言うよりもハイキング日和でした。久々にキハ602に乗って菱枠台車の揺れを堪能し、下車したのは借宿前でした。ここからは鉾田寄りの丘陵地帯で撮影です。 1.キハ602 (借宿前~巴川:1993年5月) まずは乗って来たキハ602…

第1043話 1993年鹿島:幻滅の白い気動車(その2)

徐々にローカル線にも新しい車両が導入され、古いボロい車両を追い掛けていた私にとっては、趣味的に厳しい状況となってきました。趣味を継続するためには、新しい車両を受け入れなければなりませんが、なかなか前向きにはなれません。 1.KR500形 (四箇村…

第1042話 1993年鹿島:幻滅の白い気動車

1993年の穏やかな五月晴れの日に鹿島鉄道を訪問しました。鹿島鉄道の沿線は田植えも終わり、すっかり初夏の様相です。 1.キハ601 (四箇村~常陸小川:1993年5月) 心配だったNDCの増備は4両でストップしていましたが、道産子の湘南型気動車は元夕張鉄道の…

第1041話 1994年福井:モハ160形を追い掛けろ!(その3)

三十八社では、いつ来るか分からないモハ160形を先回りしたものの、なかなかやって来ません。とりあえず、三十八社の付近をブラブラしながら来る列車を撮影です。 1.モハ82+クハ82 (三十八社:1994年10月) 80系は午前中もここで撮影しました。この車両は…

第1040話 1994年福井:モハ160形を追い掛けろ!(その2)

この日は想定外のモハ160形の試運転に遭遇し、念願の走行撮影が叶いました。まあ、わざわざ東京から年に2回も出向いているので、たまには良いこともあります。 1.モハ161-1+モハ161-2 (福井新~木田四ツ辻:1994年10月) さて、この試運転は乗務員教習に…

第1039話 1994年福井:モハ160形を追い掛けろ!

今回は第947話の続きです。第947話では予期せぬモハ160形の試運転に遭遇しました。よって、モハ160形を追い掛けて、後続列車で福井方面に向かいました。試運転列車の運行経路が不明だったので、最悪すれ違わないように福井新で下車して様子を伺いました。 1…

第1038話 1996年川島界隈:死して屍拾う者なし!!(その3)

川島の引込線は、日本コンクリートの工場を過ぎると広大な鬼怒川河川敷に出ました。この先は、河川改修の関係で線路が撤去中でしたが、こんなタイミングに出くわすとは、何かの因果なのか?今回は引込線探訪の最終回です。いよいよクライマックスのアレが登…

第1037話 1996年川島界隈:死して屍拾う者なし!!(その2)

引き続き、川島の引込線探訪です。 ところで、川島はとても不便なところでした。都内からだと、常磐線友部経由、東北本線小山経由、関東鉄道常総線下館経由の3ルートがありますが、列車本数、所要時間、低コスト重視で小山経由を選択しました。小山と言えば…

第1036話 1996年川島界隈:死して屍拾う者なし!!

「川島」と聞いてピンとくる人は病的な専用線マニアか、さもなければ変態的なトロッコマニアだと思います。ちなみに私はそのどちらにも該当します。さて、「川島」初心者の方に補足しますが、川島(かわしま)とは、JR水戸線川島駅です。川島には日本コンク…

第1035話 1994年大井川:「あかいし号」引退の頃(その3)

この日の大井川鉄道は、4連は走りませんでしたが、元名鉄3800系モドキが2編成運用されていました。名鉄3800系と言えば、戦中設計の運輸省規格電車です。その仲間は富山地方鉄道や豊橋鉄道にも転じましたが、いずれも既に消滅しており大井川に残る2編成だけが…

第1034話 1994年大井川:「あかいし号」引退の頃(その2)

今回は初っ端から廃車の話題で始まり、気が重くなりましたが、ここからは気を取り直して現役車両の様子です。今回は大井川鉄道に南海電鉄のズームカーが譲渡されたとの情報が入ったので、その情報確認が目的でした。幸いズームカーはまだ整備待ちの状態だっ…

第1033話 1994年大井川:「あかいし号」引退の頃

SLの陰に隠れて、安泰だった大井川鉄道の吊掛車でしたが、老朽化のためそろそろ車両の置換え時が近づいて来ました。しかし、その代替として、もう中古吊掛車のあてがなくなって来たので、廃車が出たらその穴埋めは、どこかのカルダン車を購入せざるを得なく…

第1032話 1995年南海(貴志川):なにはともあれモハ1201形(その4)

南海モハ1201形の車歴はさておき、1995年1月17日に阪神淡路大震災が発生しました。特に神戸方面は甚大な被害を受けて多くの犠牲者がでました。道路や鉄道も寸断され、私が幼少の頃住んでいた夙川辺りも、阪急電車の高架橋が崩壊して近づくこともできない程の…

第1031話 1995年南海(貴志川):なにはともあれモハ1201形(その3)

前回から南海電鉄モハ1201形の車歴の話題になりました。貴志川線には10両のモハ1201形が残存していましたが、この他のモハ1201形についても車歴が気になるところです。以前、第208話でも触れましたが、モハ1201形は複数の形式から統合されたり、分離されたり…

第1030話 1995年南海(貴志川):なにはともあれモハ1201形(その2)

南海貴志川線に最後まで残ったモハ1201形は比較的初期車が多く残っていましたが、いずれも結構原形を留めていました。他形式からの編入を含めて、かつては累計46両も在籍し、廃車後に他社へ転じた車両もありましたが、結果的に自社のモハ1201形が一番長生き…

第1029話 1995年南海(貴志川):なにはともあれモハ1201形

仕事の関係で知合った南海電鉄の方から、貴志川線の車両交代についていろいろと教えて頂き、モハ1201形が1995年3月で引退することを知りました。戦前生まれの古豪もいよいよ見納めです。 1.モハ1241+モハ1234 (吉礼~岡崎前:1995年1月) この頃、私は広…