ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第1038話 1996年川島界隈:死して屍拾う者なし!!(その3)

川島の引込線は、日本コンクリートの工場を過ぎると広大な鬼怒川河川敷に出ました。この先は、河川改修の関係で線路が撤去中でしたが、こんなタイミングに出くわすとは、何かの因果なのか?今回は引込線探訪の最終回です。いよいよクライマックスのアレが登…

第1037話 1996年川島界隈:死して屍拾う者なし!!(その2)

引き続き、川島の引込線探訪です。 ところで、川島はとても不便なところでした。都内からだと、常磐線友部経由、東北本線小山経由、関東鉄道常総線下館経由の3ルートがありますが、列車本数、所要時間、低コスト重視で小山経由を選択しました。小山と言えば…

第1036話 1996年川島界隈:死して屍拾う者なし!!

「川島」と聞いてピンとくる人は病的な専用線マニアか、さもなければ変態的なトロッコマニアだと思います。ちなみに私はそのどちらにも該当します。さて、「川島」初心者の方に補足しますが、川島(かわしま)とは、JR水戸線川島駅です。川島には日本コンク…

第1035話 1994年大井川:「あかいし号」引退の頃(その3)

この日の大井川鉄道は、4連は走りませんでしたが、元名鉄3800系モドキが2編成運用されていました。名鉄3800系と言えば、戦中設計の運輸省規格電車です。その仲間は富山地方鉄道や豊橋鉄道にも転じましたが、いずれも既に消滅しており大井川に残る2編成だけが…

第1034話 1994年大井川:「あかいし号」引退の頃(その2)

今回は初っ端から廃車の話題で始まり、気が重くなりましたが、ここからは気を取り直して現役車両の様子です。今回は大井川鉄道に南海電鉄のズームカーが譲渡されたとの情報が入ったので、その情報確認が目的でした。幸いズームカーはまだ整備待ちの状態だっ…

第1033話 1994年大井川:「あかいし号」引退の頃

SLの陰に隠れて、安泰だった大井川鉄道の吊掛車でしたが、老朽化のためそろそろ車両の置換え時が近づいて来ました。しかし、その代替として、もう中古吊掛車のあてがなくなって来たので、廃車が出たらその穴埋めは、どこかのカルダン車を購入せざるを得なく…

第1032話 1995年南海(貴志川):なにはともあれモハ1201形(その4)

南海モハ1201形の車歴はさておき、1995年1月17日に阪神淡路大震災が発生しました。特に神戸方面は甚大な被害を受けて多くの犠牲者がでました。道路や鉄道も寸断され、私が幼少の頃住んでいた夙川辺りも、阪急電車の高架橋が崩壊して近づくこともできない程の…

第1031話 1995年南海(貴志川):なにはともあれモハ1201形(その3)

前回から南海電鉄モハ1201形の車歴の話題になりました。貴志川線には10両のモハ1201形が残存していましたが、この他のモハ1201形についても車歴が気になるところです。以前、第208話でも触れましたが、モハ1201形は複数の形式から統合されたり、分離されたり…

第1030話 1995年南海(貴志川):なにはともあれモハ1201形(その2)

南海貴志川線に最後まで残ったモハ1201形は比較的初期車が多く残っていましたが、いずれも結構原形を留めていました。他形式からの編入を含めて、かつては累計46両も在籍し、廃車後に他社へ転じた車両もありましたが、結果的に自社のモハ1201形が一番長生き…

第1029話 1995年南海(貴志川):なにはともあれモハ1201形

仕事の関係で知合った南海電鉄の方から、貴志川線の車両交代についていろいろと教えて頂き、モハ1201形が1995年3月で引退することを知りました。戦前生まれの古豪もいよいよ見納めです。 1.モハ1241+モハ1234 (吉礼~岡崎前:1995年1月) この頃、私は広…

第1028話 1994年立山砂防:ダイヤなき復旧の春(その3)

忙しない一日が過ぎました。夕方になると、復旧作業を終えた人達を乗せて、帰宅列車が続々と山を下って来ました。この日の撮影も帰宅列車で締めです。 1.人車列車 (中小屋付近:1994年5月) 千寿ケ原行きの機関車はバック運転です。機関車の後部にはヘッ…

第1027話 1994年立山砂防:ダイヤなき復旧の春(その2)

この日は、まだ暫定運行だった立山砂防軌道ですが、なんだかんだ頻繁に列車が運行されていました。午後になり、陽の向きも変わったので再び中小屋のスイッチバックへ行ってみました。 1.モーターカー (中小屋スイッチバック:1994年5月) 早速現れたのは…

第1026話 1994年立山砂防:ダイヤなき復旧の春

当ブログの第927話~第929話では、冬眠から目覚めて水谷へ向けて軌道の復旧作業が始まった立山砂防軌道の様子をお伝えしましたが、今回もその続きです。立山砂防軌道はその年の積雪にもよりますが、概ね4月下旬から6月頃まで、砂防工事以前に自らを復旧する…

第1025話 1995年豊橋:狙いは朝ラッシュ!!(その5)

日中の留置車両を見るため、終点の三河田原に来ました。ここは渥美半島の中程に位置し、地図で見る限りそれほど目立った場所ではなさそうですが、渥美線の高頻度運行やラッシュ時の4連運転などから、愛知県第二の都市である豊橋を支えるそれなりの場所のよう…

第1024話 1995年豊橋:狙いは朝ラッシュ!!(その4)

撮影ポイントをしっかり確認していなかったので、無駄足を踏んでしまいました。結局、植田の築堤に再び戻って来ました。時間的にラッシュも終わる頃ですが、陽の向きは三河田原寄りが順光となり、ここが一番無難なようです。 1.モ1901+モ1951 (植田~芦原:…

第1023話 1995年豊橋:狙いは朝ラッシュ!!(その3)

この日は、早朝から豊橋鉄道の撮影に臨みましたが、結果として全形式の車両を撮影できました。やはり、「何かのついで」ではなく、真面目に向き合うことが大切ということです。 1.モ1901+モ1951 (大清水~向ヶ丘:1995年11月) ところで、1900系は種車の…

第1022話 1995年豊橋:狙いは朝ラッシュ!!(その2)

豊橋鉄道はローカル線と思っていましたが、ラッシュ時は4連がどんどんやって来ました。とてもローカル線とは言えない状況でした。 1.モ1954+モ1904+モ1852+モ1802 (芦原~植田:1995年11月) この列車は先ほども撮影した列車です。ラッシュ時の運用列車は、一…

第1021話 1995年豊橋:狙いは朝ラッシュ!!

1995年当時、全国の私鉄から吊掛車が消滅してゆくなかで、比較的安泰だったのが豊橋鉄道でした。豊橋鉄道は一時期、名鉄5200系を大量導入して車両の体質改善を図りましたが、まだ半数は吊掛車でした。 1.モ1956+モ1906 (芦原~植田:1995年11月) ところが…

第1020話 1993年日立:赤い電車大増殖!!(その2)

この日の日立電鉄は、7月に導入されたばかりの「古い新車モハ3000形」が2本運用されていました。いつの間にか、赤い電車が大増殖していました。そして、いよいよ雑多な旧型車達の終焉が近づいてきました。 1.モハ3023 (川中子~常陸岡田:1993年10月) モ…

第1019話 1993年日立:赤い電車大増殖!!

1993年頃はまだネット社会ではなかったので、地方鉄道の状況は現地に行ってみないとわからいと言うのが実態でした。その頃、日立電鉄では旧型車の置き換えとして、元営団地下鉄銀座線の2000系がどんどん増殖していましたが、これもどこまで置き換えが進んだ…

第1018話 1994年水間:お寺の電車?

1994年10月、それまで全く縁のなかった水間鉄道を訪問しました。その頃の水間鉄道は、全車が元東急7000系に置き替わっており、見に行く理由などありませんでしたが、終点の水間に淘汰されたクハ553が保存されていたので、それを見るためでした。 1.デハ710…

第1017話 1989年西鉄:遅すぎた出会い(その5)

西鉄200系の動態保存車を見るために、西鉄筑紫車庫を見学させて頂きましたが、この車庫はかなり大きく、目的の場所に移動するだけでも大変でした。車庫内には200系が点々と留置されていました。 1.モ213+サ253+モ214+モ217 (筑紫車庫:1989年9月) 4連の200系…

第1016話 1989年西鉄:遅すぎた出会い(その4)

今回の西鉄200系との「遅すぎた出会い」は、柳川車庫に廃車留置されていた200系を、大牟田線の車内から偶然見かけたことがきっかけでした。あわてて柳川車庫に出向きましたが、そこにあった200系は既に解体待ちのボロボロだったので、まともな写真も撮れない…

第1015話 1989年西鉄:遅すぎた出会い(その3)

今回は西鉄柳川車庫の200系以外の車両の様子を少々お伝えします。正直、200系以外の車両には全く興味がなかったので、ほとんど写真を撮っていませんでしたが、やはり30年以上も前のことなので、今となっては少々懐かしい車両が写っていました。 1.ク2051:…

第1014話 1989年西鉄:遅すぎた出会い(その2)

続いて、西鉄柳川車庫の200系の様子です。柳川車庫の裏手には2連の200系が2本留置されていました。 1.モ204、ク64 (柳川:1989年9月) この2連はいずれもMT編成で、Tc車は元博多湾岸鉄道汽船(現:JR九州香椎線)のガソリン動車を前身とするクハ60形で…

第1013話 1989年西鉄:遅すぎた出会い

今回はローカル線ではなく、九州最大手である西鉄の古い電車の話題です。 この日、私は出張で福岡へ来ていました。仕事は前日で終わり、この日は土曜日で東京へ帰るだけだったのですが、福岡まで来ていてそのまま帰るはずもありません。早起きして三池炭鉱へ…

第1012話 1995年栗原:電車をやめる頃(その3)

栗原電鉄の電車は、あと10日程で全車引退となる頃でした。思えば、栗原電鉄は元々非電化の軽便鉄道でしたが、再び非電化に戻ることになります。電化から非電化となった鉄道は過去には玉野市営や羽後交通などの前例はありましたが、いずれも廃止が前提だった…

第1011話 1995年栗原:電車をやめる頃(その2)

栗原電鉄の若柳車庫には、唯一車籍のある電機機関車がいました。説明するまでもなく、ED201です。かつては同僚の機関車が3両いましたが、貨物輸送がなくなり、運ぶものがなくなってしまい、気が付けば1両だけになっていました。 1.ED201+C152 (若柳:1995…

第1010話 1995年栗原:電車をやめる頃

細倉鉱山の閉山で運ぶものがなくなってしまった栗原電鉄は、本来であれば廃止になってもおかしくないはずでしたが、親会社の恩恵で一命を取り留め、第3セクター化という裏技で生き延びる術を見いだし、1993年12月に新体制となりました。しかしその後、経費節…

第1009話 1987年越後交通(栃尾):遺構を求めて(その2)

以前、1988年頃の越後交通長岡線の廃線探訪を、第478話~第486話でお伝えしましたが、当時の長岡線は廃線と言えども、線路はほとんどそのままの状態で放置されており、廃線探訪にも気合が入りました。一方、栃尾線の方は廃止後すぐに線路が撤去されたようで…