ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第1018話 1994年水間:お寺の電車?

1994年10月、それまで全く縁のなかった水間鉄道を訪問しました。その頃の水間鉄道は、全車が元東急7000系に置き替わっており、見に行く理由などありませんでしたが、終点の水間に淘汰されたクハ553が保存されていたので、それを見るためでした。 1.デハ710…

第1017話 1989年西鉄:遅すぎた出会い(その5)

西鉄200系の動態保存車を見るために、西鉄筑紫車庫を見学させて頂きましたが、この車庫はかなり大きく、目的の場所に移動するだけでも大変でした。車庫内には200系が点々と留置されていました。 1.モ213+サ253+モ214+モ217 (筑紫車庫:1989年9月) 4連の200系…

第1016話 1989年西鉄:遅すぎた出会い(その4)

今回の西鉄200系との「遅すぎた出会い」は、柳川車庫に廃車留置されていた200系を、大牟田線の車内から偶然見かけたことがきっかけでした。あわてて柳川車庫に出向きましたが、そこにあった200系は既に解体待ちのボロボロだったので、まともな写真も撮れない…

第1015話 1989年西鉄:遅すぎた出会い(その3)

今回は西鉄柳川車庫の200系以外の車両の様子を少々お伝えします。正直、200系以外の車両には全く興味がなかったので、ほとんど写真を撮っていませんでしたが、やはり30年以上も前のことなので、今となっては少々懐かしい車両が写っていました。 1.ク2051:…

第1014話 1989年西鉄:遅すぎた出会い(その2)

続いて、西鉄柳川車庫の200系の様子です。柳川車庫の裏手には2連の200系が2本留置されていました。 1.モ204、ク64 (柳川:1989年9月) この2連はいずれもMT編成で、Tc車は元博多湾岸鉄道汽船(現:JR九州香椎線)のガソリン動車を前身とするクハ60形で…

第1013話 1989年西鉄:遅すぎた出会い

今回はローカル線ではなく、九州最大手である西鉄の古い電車の話題です。 この日、私は出張で福岡へ来ていました。仕事は前日で終わり、この日は土曜日で東京へ帰るだけだったのですが、福岡まで来ていてそのまま帰るはずもありません。早起きして三池炭鉱へ…

第1012話 1995年栗原:電車をやめる頃(その3)

栗原電鉄の電車は、あと10日程で全車引退となる頃でした。思えば、栗原電鉄は元々非電化の軽便鉄道でしたが、再び非電化に戻ることになります。電化から非電化となった鉄道は過去には玉野市営や羽後交通などの前例はありましたが、いずれも廃止が前提だった…

第1011話 1995年栗原:電車をやめる頃(その2)

栗原電鉄の若柳車庫には、唯一車籍のある電機機関車がいました。説明するまでもなく、ED201です。かつては同僚の機関車が3両いましたが、貨物輸送がなくなり、運ぶものがなくなってしまい、気が付けば1両だけになっていました。 1.ED201+C152 (若柳:1995…

第1010話 1995年栗原:電車をやめる頃

細倉鉱山の閉山で運ぶものがなくなってしまった栗原電鉄は、本来であれば廃止になってもおかしくないはずでしたが、親会社の恩恵で一命を取り留め、第3セクター化という裏技で生き延びる術を見いだし、1993年12月に新体制となりました。しかしその後、経費節…

第1009話 1987年越後交通(栃尾):遺構を求めて(その2)

以前、1988年頃の越後交通長岡線の廃線探訪を、第478話~第486話でお伝えしましたが、当時の長岡線は廃線と言えども、線路はほとんどそのままの状態で放置されており、廃線探訪にも気合が入りました。一方、栃尾線の方は廃止後すぐに線路が撤去されたようで…

第1008話 1985,87年越後交通(栃尾):遺構を求めて

私が接することのできた現役時代の越後交通は、1987年以降の、すでに貨物専業となっていた長岡線の残存区間だけでした。長岡線は復活を目論んだという噂もあり、当時は長大な廃線跡が手つかずの状態で放置されていました。それらの様子は、以前、第478話~第…

第1007話 1995年茨城交通:4連が走った時代(その3)

この頃、お隣の鹿島鉄道や関東鉄道では新車の気動車が導入されていました。そして、鹿島鉄道では、戦前製の旧型気動車も冷房化され、「やればできる」を証明しました。そうなると茨交はちょっと気まずい雰囲気になって来ましたが・・・。 1.キハ221 (那珂…

第1006話 1995年茨城交通:4連が走った時代(その2)

茨城交通の朝の4連は1往復(那珂湊→阿字ヶ浦→勝田→那珂湊)だけの運行でしたが、その4連は務めを終えた後は、2両を切り離して、引き続きラッシュが終わるまで2連で運用されました。 1.キハ202+キハ204 (那珂湊~中根:1995年5月) 写真は、4連から2連と…

第1005話 1995年茨城交通:4連が走った時代

1995年5月、茨城交通にはまだ通学用の4連が走っているとの情報があり、常磐線の始発電車で勝田に向かいました。茨交の通学4連は、この2年前の1993年3月にも撮影していました。その時の様子は、第736話をご覧ください。 1.キハ203+キハ201+キハ202+キハ204 (中根~…

第1004話 1993年流山:最後の京急!!

1990年代になると中小私鉄と言えども、大手私鉄から中古のカルダン車を導入して吊掛車が激減しました。そんな中、吊掛車の穴場だったのが流山電鉄でした。しかし、当時の流山電鉄は吊掛車とは言え、元西武の501系であり、しかも塗色が・・・。ところが、まだ…

第1003話 1994年富士急:小田急から京王へ・・・(その2)

引き続き富士急行ですが、今回の訪問目的は京王5000系の導入により、いよいよ引退することとなった、黎明期のカルダン車である5700系の撮影でした。 1.5700系2連+5700系2連 (寿~三つ峠:1994年12月) この日は、休日だったので5700系も4連で走っていまし…

第1002話 1994年富士急:小田急から京王へ・・・

1990年代中頃になると、ローカル私鉄のほとんどが大手私鉄の中古車両に入れ替わり、吊掛車というものが見られなくなりました。もう私の趣味も先が見えていましたが、とりあえず初期のカルダン車を追い掛けていました。ところが、初期のカルダン車も後輩のカ…

第1001話 番外編:1000回を顧みる(その2)

続いて当ブログの1000回を顧みます。今回も当ブログから反響があった話題をピックアップしてみました。 ④ ヒロ電ボロ電の頃:第90~98話 当ブログにおいて路面電車ネタは、はっきり言って人気がありません。私自身があまり路面電車に興味がないせいなのか、…

第1000話 番外編:1000回を顧みる

ふと気が付けば、第1000話です。 「光陰矢の如し」とは言いますが、月日が経つのは早いもので、当ブログを始めてからもう5年近くになります。当初は、還暦までにブログを完結しようと思い、とりあえず1000回を目標にしましたが、実際、還暦を迎え1000回に達…

第999話 1994年高松琴平:灼熱の讃岐平野(その6)

この日、長尾線では雑多なMT編成が2本運行されましたが、その他にも琴電生え抜きのMM編成が2本運行されていました。日によっては、30形ばかりの日もありますが、この日は運が良かった様です。 1.860+750 (西前田~高田:1994年8月) この日は、860と870の…

第998話 1994年高松琴平:灼熱の讃岐平野(その5)

夕方になると帰宅ラッシュが始まるので、昼寝していた車両が動き始めます。なにが来るのかお楽しみですが、この日、仏生山にいた62と67は検査入場中なので、それ以外の車両であることは確実です。 1.870+760 (平木~白山:1994年8月) なんとなく、雑多な…

第997話 1994年高松琴平:灼熱の讃岐平野(その4)

この日、仏生山では1035が解体中でした。1080形の増備により1991年に廃車になったものですが、3年間本線脇の側線に留置されていた車両でした。 1.67 (仏生山:1994年8月) 解体中の1035の横には67がいました。地面には解体した車体の残骸が転がっています…

第996話 1994年高松琴平:灼熱の讃岐平野(その3)

ようやく列車の側面にも陽が差してきましたが、残念ながらもうラッシュは終わり、30分ヘッドの2連運用になってしまいました。 1.1082+1081 (一宮~円座:1994年8月) こうなると、もう京急電車しか来ないので、仏生山の車庫をのぞきに行くことにしました…

第995話 1994年高松琴平:灼熱の讃岐平野(その2)

琴平線のラッシュはまだまだ続きます。琴平線は日中は高松築港~一宮間が15分ヘッド、一宮~琴電琴平間が30分ヘッドの運行でしたが、朝夕のラッシュ時は一宮~滝宮間も15分ヘッドでした。よって、私が撮影していた岡本辺りは列車が頻繁に通過するので、撮影…

第994話 1994年高松琴平:灼熱の讃岐平野

1994年8月、西日本は猛暑に見舞われ各地で水不足となりました。まあ、私の中学、高校生時代にも水不足で、広島では学校のプールに入れないことがしばしばあり、夏場の水不足は瀬戸内地方の宿命なのかも知れません。しかし、この年の猛暑と水不足は相当なもの…

第993話 1994年島原:南線と普賢岳(その4)

この日は終日天気が良かったので、夕方まで撮影することにしましたが、帰りのことを考えて、午後は再び布津新田に戻りました。 1.普賢岳小噴火の火砕流 (布津新田~深江:1994年2月) 普賢岳は相変わらず不機嫌な様で、小噴火を繰り返していました。遠く…

第992話 1994年島原:南線と普賢岳(その3)

そして再びバスに乗り、次に向かったのは少し島原方向に戻って、普賢岳の横顔が望める北有馬です。ここは、海辺から少し離れた農村地帯です。 1.キハ2603 (北有馬~竜石:1994年2月) 前方に聳える普賢岳は小噴火でもあったのか、噴煙が上がっていました…

第991話 1994年島原:南線と普賢岳(その2)

島原鉄道の南線は北線と異なり険しい地形に敷設されていました。それ故に風光明媚な沿線でしたが、なかなか撮影できる場所がありません。ゆっくりロケハンしたかったのですが、路線長が長く時間もなかったので、ここでも路線バスのお世話になりました。 1.…

第990話 1994年島原:南線と普賢岳

今回は第854話の続きとなる、1994年2月の島原鉄道南線の様子です。この頃の島鉄は雲仙普賢岳の噴火で南線が分断されていました。普賢岳は最初の噴火から3年が経ち、ようやく噴火も終息の方向でしたが、それでも時々小噴火を繰り返していました。 1.キハ201…

第989話 1993年筑豊界隈:「なまずた」に会いに行く(その2)

今回も「直方市石炭記念館」の続きですが、今回は1993年の2回目の訪問の様子です。2回目の訪問理由は、1回目に記念館に入れなかったためですが、あれから4年が経ち、記念館の様子が変わっていました。 1.貝島炭鉱:コッペル32号機と鉱車ロト22 (直方市石…